人でなしのエドガー 第7巻 「血は流せずとも」
私は、名前を叫ぶことしかできなかった。直線状に彼はうつ伏せに倒れていて、そのまま動かない。体が傾いた瞬間の、何か言いたげな眼差しが頭をよぎる。
すぐに傍に駆け寄ることも、地面に放り出された大枝を手に戦うこともできなかった。標的を変えた魔獣たちはこちらへとにじり寄ってくる。
それでも叫び続ける自分の声に混じって、遠くから響く他の音を耳にした。徐々に近づく足音と「ここだ!」という掛け声。
鋭い爪でエドガーさんを傷つけたトビネコは、遊撃士たちによってあまりにも呆気なく倒されていった。
「到着が遅れてごめんなさい。怪我はありませんか?」
女性遊撃士に声をかけられ、首を横に振る。
彼女たちはエドガーさんへ視線を移した。彼を囲うように集まり、状態を見ている。
「この青年は……どういうことだ……ともかく病院へ」
離れた場所にいる私には、会話の節々だけが聞こえてきた。
「男性を先に運ばせてもらいます」
それだけ言うと、エドガーさんを連れて行こうとする。
「あ、あの。エドガーさんは助かりますか」
「我々ではなんとも言えません」
触れることもできないまま、彼は行ってしまった。
残った人たちに伴われ、私も渓谷を後にした。
「ご迷惑をおかけしました。導力灯はすぐに直してもらいます」
食堂の前まで送ってもらったところで、女性の遊撃士・ベラさんが頭を下げた。
「あの青年のおかげで、あなたを助けることができました」
「エドガーさんは、強い人ですから」
しばしの重い沈黙の中、1人の遊撃士が声を上げた。
「……エドガーという青年。見覚えがあると思ったら、キノコ狩りの一件の時だ」
その人はボリスと名乗った。
「彼が、大量のキノコを持ち帰ろうとしていたんだよ。
一般人は立ち入り禁止のところで採っていたようだから、全部回収したんだが」
「ああ。ホタル茸は渡すのに渋ってたよな。たしか、大切な人が欲しがってるからって」
「そういえば、ここで起きた喧嘩の事情聴取でも会ったんだ。
その時は、ある人を助けたかったって言ってたな」
「ははッ。なんだか縁があるな。――って、どうしたんだ?」
私は1人、頬を濡らしていた。
「……そう、そうだね。彼には元気になってもらわないとね」
ベラさんに背中をさすられ、とめどなく溢れる涙を止めることはできなかった。
翌朝。仕事は休んで、病院へ向かった。受付でエドガーさんの名前を伝えて、病室を探してもらう。
しかし見つからなかった。確認してもらうと、ここへは運びこまれたが、すぐに別の場所へ移動されたという。
私は次にそこを訪れた。
「エプスタイン財団……知能開発研究所」
怪我人を受け入れる施設とは無縁の場所に思えた。
「どうしてこんなところに」
意を決して、建物内に足を踏み入れる。作業着の人、白衣を羽織っている人が目につく。
疑念を抱え、真っ直ぐ受付に進んだ。
「こちらにエドガーという青年が運ばれてると思うのですが」
受付嬢は、意味が理解できないと言いたげな顔をした。
「昨晩、怪我をした青年をここに運んだと病院で聞きました。どの病室にいるのでしょう?」
「そんな人が来た連絡は受けていませんが」
眉間に皺を寄せ、さも不愉快そうにしている。
「場所は言えないなら、いるかいないかだけ教えてください。ここで待ちますから」
「それは困ります。お引き取りください」
「いいえ、待ちます」
女性同士の押し問答に、見物人が集まり始めた頃。
「その子の言ってることは間違ってない」
「もちろんです……あッ」
声の主はヘンリーさんだった。皺のついた白衣を着ている。
「良かった。ヘンリーさんに会えて」
「……この子は俺が引き受けるから、仕事に戻って」
受付嬢をなだめると、さっそく私を案内してくれた。
「エドガーさんと会いましたか?」
「ああ。会ったというより“見た”だけど」
頑丈そうな扉の前で立ち止まり、中に入る。暗い廊下を奥へ進むと、ガラスの壁で隔てられた部屋があった。
「エ、エドガーさん!」
その部屋で彼は台に横たわっていた。
金属の2つのアームが、身体の周囲で何かを行っている。
「ヘンリーさん、これは」
「傷ついたところを直してる。特に脳の損傷がひどくてな」
「そ、それって……機械の体になるってことですか?生身の体には戻れないんですか?」
「……」
「こんな光景……あんまりです。機械仕掛けなんて。
彼は私を守って怪我をしたんですよ?
必要なら、治療に私の体を使ってください。
それでなんとか元に戻してくださいッ。
約束したばかりなんです。今度好きな料理を作るって。
だから――」
「今、あんたが心配してることは何一つ問題じゃない」
初めて聞く、冷たい声だった。
ヘンリーさんは、横たわるエドガーさんから目を離さない。
「なぜ少しも怖がらずに酔った大男に喧嘩を売れるのか。
なぜ長い時間走っても息が切れないのか。
なぜ魔獣の爪で裂かれても一滴の血さえ出ないのか。
……考えたか?」
私は、穏やかな表情のエドガーさんを見やった。
「機械人形よりも遥かに高尚な存在。
文字通り血も涙も無い、ヤツは、人間の皮を被った人工知能なんだよ」