人でなしのエドガー 第5巻 「引き寄せられた出会い」
「なぁ、この場所はヤツらの縄張りじゃないよな?」
少し離れたところから、ヘンリーが声をかけてきた。
「そんな言い方すると、今度から助けてもらえないよ」
「ケッ、構わないね。人の努力を踏みにじる上に、融通も利かない連中だ。許すまじ」
もはやホタル茸探しに行っていた事実を隠すことなく、恨みの愚痴をこぼしては、白髪のカツラを弄んでいる。
「おまえは腹が立たないのか?」
「ぼくらがルール違反をしたんだから、仕方ないよ」
「そのお人好し神経はどこで作られてるのやら」
声色からして、げんなりしているのが伝わってくる。
「さっきからピクリとも反応がないし。集中力が切れそうだ」
「みんなお腹空いていないのかな」
「あーあ。嫌な予感がする」
2つの釣り糸は、時折、風に揺らめくだけ。
「こうなったら、助っ人がいないか探してくるわ」
すると釣り竿はそのままに、ヘンリーは川沿いを下って行ってしまった。
ここは再びのル=ロックル渓谷。
失態を演じたキノコ狩りから気を取り直し、クレムを喜ばせる大物を手に入れようと、ぼくらは魚釣りに来たのだった。
しばらくして、ヘンリーは見知らぬ男性を伴い戻ってきた。
「“餅は餅屋”ってな。専門家を連れてきたぞ」
帽子を被ってジャケットを羽織り、紐付きの箱を肩に下げ、竿を持った中年の男性は紛う方なき釣り人だった。
「別のポイントで釣ってるところを声かけたんだ。
釣公師団の団員だってさ。プロ中のプロってことだぜ」
「若き釣り人たちの力になれるなら、お安い御用だよ」
ぼくらは簡単に自己紹介を済ませた。
「それで、今日は何を狙っているんだい?」
「珍しい魚です。ある人への贈り物にしたくて」
「とても漠然としているが、プレゼントに魚とは気に入った。
珍しい種類となると相応の道具が必要になるが……」
師匠はぼくらが使っている釣り竿を手に取った。
「プログレロッドか」
「町で借りられたのがこれだけでした。師匠」
「師匠呼びは原則なのか?」とヘンリー。
「エサは何を?」
「ミミズです」
師匠の顔から笑みが消える。
「君たち、大物を釣り上げる気はあるのかね?」
「昼時に垂らせば、みんな食いつくと思っていました」
その回答に、ひどく残念そうなため息を吐かれる。
「はい、これ持って。剛竿トライデント。
大物攻略向けの竿だ。生きたままの中型魚をエサに使う」
師匠の愛用竿を渡され、ぼくは準備に取りかかった。
「俺はどんな竿を貸してもらえるんですか! 師匠!」
「君はエサになる中型魚を釣っていくんだ。
使うのはミミズでいい。ただポイントを変えよう」
代わり映えしない自分に落胆するヘンリーだったが、指示されるまま、さらに距離を置いたところへ移動する。
「小物なら、そう時間はかからずにヒットするはずだ」
師匠の言葉通り、数分もしないうちに「んんッ」とヘンリーが唸り声を上げた。ぼくも傍に近寄り、3人でじっと見つめる。
「どりゃ――!」
勢いよく引き揚げられる釣り糸。その先に引っかかる物体。
「長靴かよッ」
穴あき長靴は無慈悲な青年によって地面に叩きつけられた。
ところがその後は順調に中型魚を釣り上げ、それをエサにぼくが剛竿トライデントを構える。
「来たぞ」
待つこと10分。竿が引っ張られた。魚影が濃くなり、激しい水しぶきが上がる。
相手の引きが弱くなる頃を見計らい、一気に引き抜いた。
「くッ……!」
水中から大型魚が姿を現す。打ち揚げられた魚を見た師匠が「おおッ」と声を漏らした。
「長い髭に鋭く尖った歯……間違いない、ガーヴェルズだよ」
「珍しい魚ですか?」
「この場所で釣れるのは珍しいな。“湖底の暴れん坊”という異名の通り、湖で釣れる魚だ」
喜びに浸るぼくと裏腹に、師匠の表情は険しい。
「どうしました?」
「……1つ、相談なんだが」
師匠は改まったように姿勢を正した。
「このガーヴェルズ、わたしに譲ってはくれないか」
思わずぼくらは顔を見合わせた。
「おいおい、手解き料を請求するとは聞いてないぞ」
「まさか。君たちを欺こうとしているんじゃないよ。
こいつを、ぜひ釣公師団に持ち帰りたい」
「他人の手柄をコレクションにするのか?」
「そうじゃない。わたしは生態系にも興味があってね。
湖に暮らすこの魚がなぜここにいるのかを研究したいんだ」
師匠の真剣な表情は変わらない。
「それに、この魚は“人食い魚”――」
「ひ、人食い!?」と、ヘンリーが飛び退く。
「って、噂されている。装飾品を吐き出すことがあるようで。
それを君が受け取るという条件でどうかな」
「だ、誰かの遺品を俺たちに掴ませるってのか?」
「人食いは噂だ。大方、底に沈んだ物を飲み込んだのだろう」
「……随分、都合の良い話に聞こえるが。どうする?」
ヘンリーは窺うようにぼくを見た。
根拠は無い。でも、師匠は嘘を言っていないように思えた。
「分かりました。そうしましょう」
「ありがとう。恩に着る。君とはどこに行けば会えるかね?」
「ふだんは町の食堂にいることが多いです」
「承知した。数日のうちに、品物を必ず持ってこよう。
それでは早く魚を運んでしまいたいので、先に失礼するね」
師匠は手際よく道具類を片付けてしまう。
「……その子は、研究に使われたら死んでしまうんですか?」
心配するぼくをよそに、師匠は朗らかに笑った。
「いいや。わたしが責任を持って、面倒を見させてもらうよ」
そう言って手を振り、師匠は去って行った。
「今日会ったばかりの人間をよく信用したな。
そのまま戻ってこない可能性だってあるんだぞ」
「欲しがる人に貰われた方が、あの魚も嬉しいかもしれない」
「なんだよ、それ」
「でももし君の言う通りになったら、その時は仕方ないかな。また釣りに来ればいいよ」
「仕方ない、か。それで気が済む性格が羨ましいよ」
「ヘンリーは、どうしてぼくがクレムを好きなのか分かる?」
「え?」
「自分でも分からない。だから、仕方ないんだ」
それからすぐに、ぼくらも帰り支度を始めた。
ヘンリーは、ただ黙っていた。