闇医者グレン 第10回 希望
ヒューゴの手術が3日後に迫った日の夕方。
手術の期日が決まってから、彼の病室には毎日のように担当医のルーファスがやってきていた。来たる手術について、少年に説明するためだ。
「……ヒューゴ君、聞いているかね。」
ルーファスが神経質そうな声で尋ねる。
ヒューゴは手術が決まってからどこか上の空で、ときどきこうして話を聞いていないことがあった。
理由は明白だ。
手術後にバイオリンを弾けなくなるという事実に未来に希望を持てないでいるのだった。
助手の形でルーファスに付き添うシェリーはやりきれない気持ちだった。
「やっぱり、イヤだよ。」
自分の厚手の手袋を恨めしそうに眺めていたヒューゴが言った。
「なんで俺だけがこんな思いをしなくちゃならないんだよ!」
行き場のない怒りを放出するその姿に、シェリーは胸を痛めた。
「ヒューゴ君、元気を出して。」
そんな言葉をかけても意味がないことは、同じ病で姉を亡くした彼女が一番分かっていた。
だが、医師ルーファスはあくまで冷静に対応した。
「……私は今まで沢山の患者を見てきた。中には何の希望も与えられず、無下に命を落とした人々もいる。そんな中、君の場合は手術を受けさえすれば必ず生き延びることができる。それは……幸運なことじゃないかね?」
この説得には何の反論の余地もなかった。
ヒューゴは無理矢理納得させられて歯噛みしたが、やがて諦めたように落ち着いた。
これでいい、とルーファスは思っていた。
生きてさえいれば、数えきれないほどの可能性がある。
夢など、また探せばいい。
命を落としたカタリナは、それすらできなかったのだから。
「――お前らしいな」
よく通る低音の声と共に、病室の扉が開かれた。現れたのはーー闇医者、グレン。
「グレン先生っ!」
来てくれた――シェリーは心の中で喜んだ。
グレンはそんな彼女にニヤリと笑みを見せる。
「……何をしに来た。」
ルーファスの眼鏡の奥の双眸は、現れた闇医者の姿を睨みつける。
グレンはその問いには答えず、代わりに視線を弾き返すように睨み返した。捨て台詞を吐いて病院の屋上を去った時と明らかに違う雰囲気に、ルーファスは眉をひそめる。
次にグレンは、ベッドにいるヒューゴを見た。
以前狼藉を働いたグレンの姿に一瞬嫌な顔をしたが、それもどうでもいいという諦めの表情になる。
「ヒューゴとか言ったな。……お前に、死ぬ覚悟はあるか?」
グレンが唐突に発した言葉に誰もが驚く。
「お前の《結晶病》…… 腕を失わずに治せる方法がある。ただし、それに挑むには死ぬ覚悟が必要だ。根性論なんかじゃない。本当の意味で、死のリスクを負う覚悟だ。……お前に、それはあるか?」
まくし立てられた言葉の一つ一つが、弱冠14歳のヒューゴの心にのしかかる。
彼の鋭い眼光には一切の容赦が感じられない。"死"という言葉の重みは本物だ。
――"死"。
その覚悟があれば、ヒューゴの腕は……バイオリニストの夢は、失くならずに済むかもしれない。
ヒューゴはそう考えると、感極まって涙をこぼした。
生きるためだと押さえつけていた、胸の中のものが溢れ出す。
「……俺……俺……! この腕のためなら死んだって構わない……!」
少年の心には、確かな希望の光が差していた。