赤い月のロゼ 第7回 決別
――あなたの協力はもはや必要ありません。
ロゼの凄まじい戦いぶりを思い出していたアルフォンスは、その言葉を呆然と受け止めることしかできなかった。
反論はいくらでもあった。吸血鬼の正体はまだ分かっていない。それを突き止めるために帝国軍に所属する自分と協力を結んだはずだ。
「吸血鬼の正体なら、昼の時点ですでに掴みました。ですから、あなたにお願いすべきことはもうないのです」
考えを見透かしたように、あっさりとロゼは言う。
正体を掴んだ――? 唐突すぎるその言葉に戸惑うアルフォンス。一緒に捜査をしていたのに、彼女だけが吸血鬼の正体を突き止めたことに疑問を覚える。……いや、常に一緒にいたわけではなかった。今日にしても、最後は二手に分かれて捜査をしていたのだから、ありえない話ではない。
「た、例えそうだとしても…… 俺にはこの事件を追う理由がある! あっさりと引き下がるわけにはいかない!」
ロゼにもすでに話したことだ。幼少の頃、両親が殺された事件――もしかしたら今回の『吸血鬼事件』はそれに関係している可能性があるのだ。
ロゼは、そんなことは分かっていると言わんばかりにため息をつくと、まっすぐと、冷徹な目でアルフォンスを見つめる。
「では、直截(ちょくさい)に申し上げます――足手まといです」
刃物のように鋭利な言葉に胸を抉られ、何も言えなくなってしまうアルフォンス。
「この場を見ればご理解いただけるはずです。世俗の方が関われる領分をとうに越えていると」
辺りに倒れた、頭蓋を砕かれ、首を刎ねられ、全身を銀の弾丸で射抜かれた屍人――いや、もはやボロボロの、ただの人間の遺体となった者たちを指して彼女は言った。
再び先ほどの戦いがアルフォンスの脳裏に浮かぶ。もし、早い段階であそこに介入していたとしても、きっと彼にはなにもできなかった。それどころか、ロゼの邪魔になっていた……そんな光景が容易に想像できてしまう。
俯いてしまったアルフォンスに、ロゼは少し遠い目をして語る。
「私は過去にも――世俗の方と協力して吸血鬼を追ったことがあります。強く協力を申し出られ、私はそれを受けることにしたのです」
アルフォンスはそれを聞いて、顔を上げて驚く。以前にも自分と同じことをした者がいた――?
「――協力者(その方)は殺されました。追っていた吸血鬼にです。そして正体の分からないまま、その吸血鬼はどこかへと姿を消しました」
それは”吸血鬼狩り”を生業とする彼女にとって最悪の結末であったろう。
「私の過去の仕事の中でも、最大の汚点です。もう一度同じ過ちを繰り返すわけにはいきません。ですから今回、あなたとは明確に一線を引かせていただきました。現場を円滑に操作できるよう取り計らってもらう、求めていたのはただそれだけです。そういう意味では、“協力”というよりは“利用”と言った方が正しいでしょう」
そして、それは上手くいった。ロゼは独自に正体を掴むことができ、尚且つ、吸血鬼の容姿が手配されたことはこの上ない成果であった。おかげで一般人が夜に出歩くことを控え、上手く自分に吸血鬼をおびき寄せることができた、感謝しています――そう冷淡に続けられたことだけ、アルフォンスは理解した。
語り終えたロゼは、一息ついてから――
「もともと交わるはずのなかった世界が、偶然に交わった。あなたは偶然そこに出くわしてしまった。それだけです。だから、忘れてください。なにより吸血鬼狩り(わたし)に必要なのは“孤独”なのですから――」
そう言って再び自嘲気味な笑みを浮かべると、身を翻して歩き出す。アルフォンスは、その言葉を、ロゼの表情を見て、どこか違和感を覚えた。
しかし、彼にはロゼを呼び止めることはできなかった。2人の間には、越えることのできない見えない壁のようなものが確かにあった。
「後のことはお任せください。これ以上の深入りはなきようお願いします――さようなら」
こちらを振り向かずにはっきりとそう言うと、ロゼはそのまま夜闇の中へと消えていった。残されたアルフォンスは、血の海の中、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
◇
翌朝――帝都の一角で10体もの身元不明の遺体が発見され、現場は今までにない喧騒に包まれていた。ガラード隊長の指揮で軍人たちが忙しなく行き交い、凄惨な現場を覗き込もうとする野次馬たちが押し寄せている。最近は別動隊として行動していたアルフォンスも、今回ばかりは正式な調査隊に加えられ、同僚の軍人たちとともに調査を行っていた。
検死が行われている遺体たちは、ロゼによって激しく損壊していたはずだったが、なぜかそれらの痕跡は一切見あたらなかった。残されていたのは、吸血鬼の咬み跡だけだ。
アルフォンスだけがそれを不審に思っていたが、すぐさまロゼが教会のどこかしらに属していたことを思い出した。そちらに彼女の元々の仕事仲間がおり、何かしらの工作が行われたのだろう。吸血鬼と戦える武器を精製するような技術があるのだ、遺体の修復くらいやれてもおかしくないのかもしれない。アルフォンスは非現実的な想像をする自分に、思わず乾いた笑みを浮かべてしまう。
ロゼは、やはり現場には現れなかった。アルフォンスとの協力関係は昨晩限りで終わった、それに偽りはないのだろう。吸血鬼事件はこのあと、彼女によって秘密裏に解決されていくことになる。伝承でしかない吸血鬼の存在も公になることなく、誰も知らないところで。
――本当にそれでいいのだろうか。
アルフォンスの心の中に、一つの疑念が引っかかっている。
それは、別れ際に彼女が一瞬だけ見せた表情だ。
なにより吸血鬼狩り(わたし)に必要なのは“孤独”なのですから――
そんな言葉と共に見せた、諦めたようなロゼの笑み。
ただ、冷徹なだけではない、何か……“寂しさ”のようなものを感じた気がしたのだ。
“孤独”。あらためてその言葉を反芻するアルフォンス。
過去に両親を失ったアルフォンスにも突然訪れた孤独。
何の見返りなく己を優しく包み込んでくれる存在がいない、寂しさと恐怖。
それは容易に人の精神を蝕み、病ませていく。
だが、父の友人であったガラードに引き取られ、ルッカのような大切な人たちと出会うことで、自分はそこから救われた。人は、一人で生きていくことはできないのだと、アルフォンスはこれまでの半生で痛いほどに理解していた。
“孤独”が必要だと言ったロゼ。それは彼女の本心なのだろうか? もしかしたら、彼女にも何か事情があるのではないか?
かつての自分と同じ“孤独”を抱える者を、アルフォンスはどうしても気にかけてしまう。
そして、決意する。やはり、このままでいいわけがない。ロゼに突き放されたからと言って、自分のやるべきことは代わらない。両親が殺された過去の事件を清算するためにも。どんな危険があっても、たとえ彼女の足手まといになったとしても、関わり続けなければならない。
アルフォンスは頭を振って、昨晩から滞っていたもやもやとしたものを、無理矢理払いのけた。散漫になっていた集中を取り戻し、捜査にがむしゃらに没頭していく。そうすることが、ロゼと同じ立ち位置に立つ唯一の方法である気がしたからだ。
やがて、その現場には夕焼けが差し始めた。10体の遺体が運び出され、野次馬たちもそのほとんどが撤退していった。大勢の調査隊による捜査にも一区切りがつき、その日は撤収することになったが、アルフォンスは一人、黙々と現場を調べ続けた。
「アル、いい加減詰所に戻るぞ」
ガラードの気遣う声が聞こえるが、アルフォンスは振り向きもせずに捜査を続ける。
「……すまない、おじさん。もう少しだけやらせてくれ」
この現場は昨晩、ロゼと吸血鬼が激しい戦闘を繰り広げた場所だ。その最中に何か、重大な手がかりが残された可能性は十分にある。調査隊全員で一日中捜査をしても、それはまだ見つかっていなかった。だが、絶対に何かがあるはずだ。アルフォンスはそう確信していた。
ガラードはその様子を見ると、やれやれと口の端を持ち上げる。
「まあ、気の済むまでやれ。あまり根を詰めすぎないようにな」
そう言って、隊員たちと共に心の中で礼を言いつつ、再び捜査を続行することにした。
それから更に半刻ほど経ち、夕日も沈み始めた時――もはや現場の全てを調べつくしていたアルフォンスの目が一点に注がれた。
建物と建物の隙間、捜査の死角となっていた場所に、何かが落ちている。
そういえば、昨晩の戦闘でロゼが剣による一撃を加えた時、吸血鬼は何かを落としていた……それを思い出す。
隙間は、アルフォンスの片腕がぎりぎり入る程度のものだ。必死で手を伸ばし、人差し指と中指で何とかそれを挟み込み、取り上げることに成功する。
それは、細長い長方形の布切れだった。アルフォンスはそれをためつすがめつ眺める。薄汚れて鼠色になっている。おそらく元々の色は白かったのだろう。切り口からロゼの剣で切り離されたものには違いなさそうだが、それはあくまで何の変哲もない、ただの布切れに見えた。
――だが、それは他の人間が見たとすれば、だ。アルフォンスの感想は違った。それを見たとき、彼は全てを理解した。
ロゼが突然に彼との決別を宣言した理由――
そして、帝都を恐怖に陥れた、吸血鬼の正体を。