赤い月のロゼ 第9回 愚か者
「吸血鬼狩り……現れたか……!」
吸血鬼エルロイは、歯軋りをしてロゼを睨みつける。法剣によって落とされた右腕はシューシューと赤い煙を上げていた。ロゼはアルフォンスに向けていた顔をそちらに向きなおし、無表情のまま法剣を構える。
じりじりと間合いを保ちつつ、両者は次の一手を探って膠着する。
こちらを見ないそのままの体勢で、ロゼは口を開く。
「――これ以上は関わるな、と申し上げたはずです。なのに……一人で吸血鬼と戦おうとするなんて。あなたがここまで愚かだったとは思いませんでした」
若干怒気を孕んだその声に気圧されつつも、アルフォンスはよろよろと立ち上がる。
「先に一人で戦おうとしたのは君のほうだ。それに俺は、最初からそんなつもりはなかった」
「え……」
「――賭けていたんだ。君が来てくれることにな。そして、君は来てくれた。最初に会ったときと同じように」
その言葉は、ロゼにとってあまりにも意外だったらしい。彼女は背中越しでも分かるほどに動揺しつつも、すぐに剣を構えなおして冷静さを取り戻す。
「意味が……わかりません」
「……君が俺との協力関係を解消した一番の理由は、用済みになったからとか、足手まといになったからとかじゃない。きっと、俺をこれ以上巻き込みたくなかったからだ…… 過去に君が犠牲にしてしまった協力者のように」
「……それは、あなたの勝手な解釈です」
あくまで冷徹に言い捨てるロゼ。だがアルフォンスには確信があった。
「なら、どうして”吸血鬼の正体を突き止めた”なんて嘘をついた?」
「……! ……気づいていたのですね……」
考えてみればおかしかったのだ。
吸血鬼が本来の力を発揮するのは夜であり、正体を突き止めて日が出ているうちに倒すのが理想――ロゼはそう言った。だが昨夜の彼女は自らを囮にするという危険な方法で吸血鬼を呼び寄せたのだ。合理的でないし、彼女らしくない。
「多分君は、調査を進める中で何らかの事実に気づいた。詳しくは分からないが、このまま俺が協力していては危険だと判断した君は、早々に俺を遠ざけるために、あんな噓をついたのだろう」
ロゼは無表情のまま、答えなかった。それは逆に、彼の言葉を認めたことを意味していた。
「フン……何をゴチャゴチャと!」
2人に対峙する吸血鬼エルロイは、目を見開いて力を集中し始めた。すると――今まで右腕から上がっていた赤い煙が消え、代わりにどす黒い液体が断面から泡立ち始める。切断され、地面に落ちていた右腕からも同様に――そして、それらの液体は一気に噴出し、互いを求めあうようにくっつけていく。
「いけない……!」
ロゼが何かに気づいて素早く法剣を薙ぐ。伸長した無数の刃が液体を切り裂くが、すぐに元通りに復元していく。そして、それは急激に右腕を引き寄せ、切断面同士を結合させた。境目に泡立っていた液体が治まるころには、エルロイの右腕は完全に元通りになっていた。
「法剣のダメージをこんな速度で…… やはり、この吸血鬼は――
「ハアアアアアッ!」
エルロイは右腕に握られたままの剣に力を込めると、一直線にロゼに向かっていく。
ロゼはあくまで冷静に、法剣の刀身をエルロイに向けて再び射出させる。伸びきった刀身はすばやく絡みついていき、その身体を引き裂きながら捕縛していく。
だが、エルロイは完全に拘束される前に、一瞬で持っていた剣ごと霧に姿を変える。法剣の無数の刃は空を切り、霧は四方へと散る。そして、ロゼの左後ろの死角から現れて、再び剣を振りぬいた。
完全に虚を突いた攻撃は、ロゼを頭から両断してしまうはずだった。
しかし、咄嗟に間に入ったアルフォンスが、拾い上げていた剣で受け止める。
「クッ……!!」歯を食いしばり、死に物狂いで踏ん張るアルフォンス。
力では完全に勝っていたはずのエルロイだが、死力を尽くした防御を崩すことはできなかった。
「ッ……どこまでも目障りな!」
「アル!」
その隙に乗じて、ロゼは逆手で大型拳銃を引き抜いてすぐさま引き金を引く。弾丸はエルロイの肩口を射抜き、彼を後方へと退かせた。
陣形が入れ代わり、ロゼを背にしたアルフォンスは再度、剣を構えなおす。
「――ロゼ、俺は決して死なない! 吸血鬼になど、殺されない! だから――」
「なんですか、こんな時に!」
ロゼはアルフォンスの肩を補助台として、エルロイに狙いを定めて大型銃を連射する。肩の傷をすでに修復したエルロイは、その全てをありえない速度で避けつつ、再びこちらに肉薄する。弾丸は撃ちつくされ、もう一丁を構えなおす暇はなかった。
勢いのまま、2人をまとめて切り捨てようとするエルロイの剛剣。アルフォンスはそれに向かって、渾身の力で剣を叩きつけた。凄まじい衝撃が発生し、アルフォンスの剣は真っ二つに砕けてしまう。
仕掛けたエルロイも弾かれる。だがこのまま膂力に任せて再び剣を振り下ろせば、今度こそアルフォンスとロゼは絶命するだろう。勝利を確信した吸血鬼は口の端を持ち上げる――
しかしそれは次の瞬間、驚愕に歪んだ。己の剣が砕けることを予測していたアルフォンスは、すでに懐から取り出したものを握り締めていた。ロゼから渡された――銀の短剣を。
「だから! 君を決して“孤独”にはしない!!」
「――――――!」
そう叫びながら振り下ろされた短剣。銀色の一閃はエルロイの身体を、一直線に切り裂く。
「ぐああああああっ!?」
たまらず、大きく退いたエルロイ。深くつけられた袈裟斬りの傷は、心臓を紙一重で外したものの、これまでで最も痛烈なダメージを彼に与えた。
「なぜ俺が、あいつ如きに……! おのれ、おのれッ……!! おのれおのれおのれおのれ、おのれぇええええッ……!!」
エルロイの顔には凄まじい憎悪と苦悶の表情が刻まれている。その油断こそが一撃を喰らう要因になったことに、彼は気づいていない。もはや人間を装っていたころの面影はどこにも感じられなかった。
一方のアルフォンスも、今の攻撃で力を使い果たしたらしく、息を切らして膝を突く。そんな彼を、ロゼは不思議な面持ちで見つめていた。
彼は自分の“孤独”を受け止めてくれようとしている。過去に協力者を死なせてしまったことで抱えてしまった、巨大な”孤独”に気づいて。
君を決して孤独にはしない――さきほどの言葉が何度も。頭の中に響く。
何の根拠もない、ただの感情の塊のような言葉だったが、それはロゼの冷え切っていた心に暖かなものをもたらしていた。
「……ふふっ、あなたという人は…… 本当に度し難い、愚か者なのですね」
今まで無表情を貫いていたロゼが、自然な笑い声を漏らした。アルフォンスは思わず振り返る。
「――でも、嫌いではありません」
そこにあったのは、今までの無表情だった彼女からは、まったく想像できない――女神のような慈愛にあふれた微笑みだった。
「な、なんだそれは……」
アルフォンスは見てはいけないものを見てしまったような気がして、慌てて前に向き直る。視界に入ったのは、いまだ動き出さないエルロイの姿だ。
そうだ、和んでいる場合ではなかった。あの吸血鬼に――エルロイにとどめを刺さなければ。
もう一度向き直り、ロゼと顔を見合わせて頷きあう。
ロゼは力を使い果たしたアルフォンスを残して、エルロイのもとに歩き出す。彼は放心状態で俯いたまま、ぶつぶつと何かをつぶやいている。その頭に、ロゼは照準を合わせる。あとは引き金を引けば、事件は解決だ。「……………………?」ロゼはふと、引き金を引く指を止める。
何か途轍もない違和感を感じていたのだ。
「匂いが……消えた――」
――突如、俯いていたエルロイは、ぐりんとロゼに顔を向ける。
「そうだ、俺が負けるわけがないんだ。もっと血を吸いさえすれば、アルフォンスなどに――」
そこに浮かんでいた焦点の定まらない瞳と凄惨な笑みに、思わずたじろいでしまうロゼ。次の瞬間、彼の袈裟斬りになった傷口から、凄まじい勢いで赤い霧が噴出した。
「こ、これは……」
霧は瞬く間に周囲を包み込み、その一帯の視界は完全な赤に支配された。「ロゼ、なんだこれは!?」アルフォンスの声だけが聞こえてくる。
「大丈夫、害はありませんから落ち着いてください!」
吸血鬼が苦し紛れに使うことがある、自分の傷を利用した目くらましだ。
今まで経験からそれを知るロゼは、視界から消えたエルロイの匂いを辿る。彼女には吸血鬼の気配を匂いとして察知する力がある。こんな目くらましなど何の意味もなさない――はずだった。
吸血鬼の匂いはどこにも感じられなかった。目の前にいたはずなのに。
なぜ――? 予想外の事態に困惑するロゼ。
やがて、赤い霧は徐々に晴れていった。
「くっ……なんてことだ……!」
その場に残っていたのは――アルフォンスとロゼの2人だけだ。
エルロイはいない。まんまと逃げられてしまった。一体どこへ? アルフォンスは少しだけ取り戻した体力でようやく立ち上がる。
「ロゼ! 奴の気配を追ってくれ! でないと……」
おそらくエルロイは、新たな血を吸いに行った。また犠牲者が出てしまう。彼が更なる力を手に入れたら、果たして太刀打ちできるのか?
「待って下さい、今、追っていますから……!」
ロゼもまた、アルフォンスとは別の懸念に囚われていた。なぜ急に、あの禍々しい匂いが全く感じられなくなってしまったのか? こんなことは、今までなかった。自分の力が弱まったのか?
様々な要因を考えていると、今度は唐突に吸血鬼の匂いが復活した。
再び困惑するロゼ。本当に訳のわからない事態だが、とにかく今はエルロイを追跡しなくてはならない。
精神を集中して再び匂いを辿る――。
ロゼは吸血鬼の匂いがどこにあるのか、それをようやく突き止めた。そして、驚愕した――。
「吸血鬼の匂いは……あの酒場の方角です!」
宿酒場《アレグリア》は、この通りから道一つしか離れていない。
アルフォンスは、鬼気迫る表情で走り出した。