陽溜りのアニエス 第1回 クリーム色の少女
エドウィン・アーノルドがその少女に勝てたことは一度としてなかった。少なくとも覚えている限りは一度もだ。腕っ節には自信があったし、これでもそこそこ頭も切れる……つもりなのだが、出会った瞬間から今日まで、ぐぅの音も出ないほど負け続けている。
そう、2年前のあの日からずっとだ。
大時計がコチコチ鳴って、その年季の入った喫茶店に今も時間は進んでいることを知らせている。でも19歳になったエドウィンは、そんな事はお構いなしにそのいつものカウンター席でウンウンと唸っていた。
「いやいや完璧だろう、今日の記事は」もう3回も見直したし、取材してきたコメントもちゃんと盛り込んだ。ペンでカリカリとアンダーラインを引きつつ、エドウィンはもう一度唸った。
午後の編集会議で通れば、ようやく自分の書いた物が紙面に掲載されるのだ。今日という今日は手が抜けなかった。ここは一つ、万全を期すとしようじゃないか……。
エドウィンは上目遣いでカウンターの先を伺った。
「……アニエス、どう思う?」
「さあね、しらない」
一つあくびをしながら、クリーム色の髪が横切っていく。アニエスの2年前と何も変わらないその癖っ毛は、動きに合わせてくるくると巻いて、風もないのに踊っているかのようだ。
まだ営業時間じゃないんだけどなー、どうしてこの人は朝っぱらから押しかけてるのかしら。そんな事を呟きつつ、手にしたグラスの水気を素早くふき取って食器棚へと返していく。
「いいから見てくれ!……いや、お願いします見てください。知ってるだろ? 新米記者の俺がコラムを取るチャンスなんだって!!」
エドウィンはぴたっと手を合わせて頭を下げた。
「……………………………………」
エドウィンは2つ年下の自分にも、衒いもなくそんな事ができるのをアニエスは知っていた。だから困るんだよね、もう。また1つ洗いあがったコップを取りつつ、アニエスはチラリと視線を走らせて言った。
「スペルミスが3箇所もあるわ。わぁびっくり。あと日付が間違ってるんじゃない?」
なるほどな。エドウィンは即座に赤ペンに持ち替えてチェックを始めた。
「……イマサラだけど」
「なんだよ。言いたい事があるならいえ!俺はこのコラムに命賭けてるんだ!」
「お料理コラムだけどね」
「お料理コラムでも記事は記事だぜ」
「まあね。……でも、エドに記者の仕事は向いてないと思うんだ」
だって記事書くの遅いし、注意不足だし。鈍感じゃない。私が特訓してあげたおかげで通信社の試験にパスできたのはいいけど、そんなので記者をやっていく、なんて無理じゃないの?
アニエスはずっと前から不思議に思っていたのだ。どう見ても勉強が得意じゃないエドが、どうして記者なんて目指したのか。
でもすぐに後悔した。エドが原稿をトントンと揃えニヤリと笑って立ち上がったからだ。
「フン……正義の記者ってカッコイイだろ!!」
朗報を期待しててくれと言い残したとき、エドの姿はもうなく、ただカラカラと扉の鈴が鳴っていた。
はいはい、そんな事だろうと思った。
肩をすくめたアニエスの傍で、寝ていた黒猫がブニャーと鳴き声を上げた。