闇医者グレン 第5回 ルーファス
「――無理だ、その男には。」
病室前の静かな廊下に、男が現れていた。スラリとした細身の長身に白衣を羽織り、銀縁の眼鏡の奥から鋭い眼差しを向けている。
「先生……!」
看護師であるシェリーはよく知っていた。
彼はこのエメリア総合病院の医師の1人だ。
そして……グレンにとってそれは、10年ぶりの再会だった。
「ルーファス……」
「……お前が病室に来ているとはな……グレン。」
ルーファスと呼ばれた医師は苦々しい顔をして答える。2人が知り合いだと元々知っていたのか、シェリーの顔に困惑はなかった。ただ、険悪な雰囲気の2人を悲しげに見ていた。そんな彼女の方を向いてルーファスはため息をつく。
「闇医者など連れてきて……困ったものだ。病院の名誉に傷がつく。それが分からない君じゃないだろう。」
もとより処罰は覚悟の上で行動していたらしく、シェリーの目に迷いのようなものは見られない。
……何故彼女がそこまで、あの少年に入れ込むのか。グレンも少し気になってはいたが、それを口には出さなかった。
「……先生、『無理だ』とはどういうことですか?」
先程の言葉を確かめるように彼女が尋ねる。
「……簡単なことだよ。そこにいる男は、一度病院を去った。医者であることから逃げ出したんだ。どれだけ腕がよかろうと、《結晶病》という難病に挑めるとは思えない。」
ルーファスの答えに、当のグレンは自嘲気味に笑う。そして、何も言わずに踵を返して歩き出した。
「グレン先生……!」
シェリーは慌ててその後を追っていく。ルーファスはそれをしばらく見送ったが、やがて姿が見えなくなるとつまらなそうに「フン」と呟いた。
そして、先程まで2人がいた303号室の扉に向き直る。小さく咳払いをして、3度のノックをした。
「……ヒューゴ君、診察の時間だ。」
――グレンはエメリア総合病院の屋上から公都の町並みを眺めていた。
導力化の進んだ景色は落ち着かない。やはり下町の寂れた雰囲気の方が性に合う。そんなことを考える彼の背に、心配そうな顔で看護師シェリーが立っている。
「……先生……あの……」
「ルーファスは……奴の仕事ぶりはどうだ?」
グレンはシェリーの言葉を遮るように尋ねた。
彼女は他に言葉を見つけられず、グレンの問いに淡々と答えるしかなかった。
「……ルーファス先生はこの病院の設立時にスカウトされて、今まで多くの患者を救っています。素晴らしい論文もいくつも発表していて……。34歳という若さで、次期教授に就任するとの噂もあるくらいです。」
「……凡人は凡人なりによくやってるようだな。」
憎まれ口を叩くグレンの顔はどこか満足そうだった。
奴ならあの小僧の命も助けてくれるだろう。
そう続けるグレンに、シェリーは反論する。
「でも、ルーファス先生は……。ヒューゴ君の手にメスを入れるつもりです。」
「命が助かるならそうするべきだろう。」
廊下で行っていた議論はやはりそこに帰結した。しかし、シェリーは納得できなかった。
「グレン先生……あなたは10年前、《結晶病》を治す新しい術式を作りました。だからこそ私は……先生に賭けたいんです。」
グレンはそれを聞くと少し驚いた様子だった。
結晶化した患部を切除することなく《結晶病》を完治できる画期的な術式。
まさに不可能を可能にするそれを、グレンは10年前の時点で発見していた。
確かにその術式が成功すれば、ヒューゴの命と夢の両方を救うことができる。このシェリーという看護師は、かなり熱心に自分を調べていたらしい。
だが……グレンにとってそれは、心の傷痕を抉り出すものでしかなかった。
「……知っているだろう。あの術式が失敗だったことを。」
シェリーは無言で目を伏せる。
それは肯定の意味を持っていた。
「そして、そのせいで…… 1人の患者が命を落としていることを。」
グレンは10年前の出来事を思い出し、懺悔するように言葉を紡ぎだした。