徒然雑記帳

ゲームプレイを中心に綴っていくだけのブログ。他、ゲーム内資料保管庫としてほいほい投げます。極稀に考察とかする…かな?お気軽に読んでいってください。

人でなしのエドガー

 

 閃の軌跡Ⅲより、人でなしのエドガーです。当初見たときは未来物なんて珍しいな~くらいにしか思ってませんでしたが、創のプレイ後だとどうしてもシミュラクラが思い浮かびます。もしもゼムリア世界がこの物語の通り続いていくなら、人類がエリュシオンに追いつく(といってもエドガーよりシミュラクラの方が高度な気もしますが)のは90年近く先になるという……。

 

 

人でなしのエドガー

 

第1巻 「始まりの秋」

 

 カーテンの隙間から、淡く光が漏れている。のっそりと起き上がって、寝ぼけ眼で窓に近づく。結露でいっぱいのガラスを指で撫でると、そこだけ太陽の温かさを感じられる気がした。

 

 後ろを振り返れば、君の寝顔がある。鼻がくっつくくらい顔を寄せたけれど、ピクリともしない。前髪をそっと触っても、目は開かない。ほっぺたをつまんだら嫌そうに寝返りをうったので、掛け布団を直して寝室を出た。

 

 

 

 

 台所に行って、鍋に残っていた昨日のスープを火にかける。次はサラダを。レタスにハムにゆで卵。トマトはくし形切りにして、2つ並んだ片方の皿だけに盛る。

 君は、生のトマトを嫌っているから。

「4歳の時だったかな。

 お父さんが食べさせようとしたトマトを、口に入れた途端に吐き出したんだって。

 何がダメだったのか自分でも分からないけれど飲み込むのも嫌なんて、ひどいよね」

 申し訳なさそうに、君は言っていた。

 

 

 支度が整ったところで、寝室のドアが開いた。

「おはよう」

 君は気持ちよさそうに背伸びをする。

「ねぇ、エドガー」

 君はぼくを見る。

エドガー?」

 君はぼくの名前を呼ぶ。

エドガー」

 何度も名前を呼んでくれる。

「おい、エドガー!」

 君は――

 

「――!」

 勢いよく広がる視界。耳に駆けこんでくる喧噪。

 ここは町の食堂。向かいに座っているのは友人のヘンリー。

伸びかけの若葉色の髪に、寝癖をつけっぱなしだ。目の前には彼が注文した料理が。瞬時に状況を整理する。

「あの、お水を持ってきましょうか?」

 声をかけてきたのは、ウェイトレスの少女・クレム。ぼくを見つめる瞳は、青空のような色を宿している。

「ああ、一応……」

「いえ、大丈夫です。お構いなく」

 ヘンリーの言葉を遮り、彼女に断りを入れる。クレムは困惑しながらも、テーブルを離れていった。

「なーにが『お構いなく』だ。イイ人ぶりやがって」

「余計な手間をかけさせたくない」

「まぁ、水を飲んだところでって話か」

 ヘンリーはまたムシャムシャと食事を再開した。

「これ、ぼくの分もあげるよ」

 手をつけていないハーブサンドを勧める。

「頭が重くて、食べられそうにないから」

「最近、そういうの多いよな」

「うん。しかも急に。自分じゃ知らない風景が映るんだ」

 視線を上げると、忙しなく歩き回るクレムが見えた。食堂に集まる客に話しかけられ、笑顔で返事をしている。

 

「思うに、あの子のことを意識し始めてからだよな。

 恋焦がれる野郎共を散々見てきた俺には分かる」

 うんうん、と頷くヘンリー。

「そう、なのかな」

 ついクレムを目で追いかける。

「ぼくのことはヘンリーに聞くのが一番だね」

 視線に気づいた彼女は、こちらに優しく微笑んでくれる。

「なんだか自分が分からなくなってきたから」

 ため息を吐くぼくに、親愛なる友は困ったように笑った。

 

 

 

 ――七耀歴1294年、9月。エプスタイン財団の本部を抱えるレマン自治州にて。財団の一員であるぼくはヘンリーとともに、これまで通り研究と実験にこの身を費やすつもりだった。

 

 1人の少女に、恋をするまでは。

 

 

第2巻 「ぼくの名前を」

 

 いつからクレムのことを想っていたのか。「何月何日のどの瞬間だ」という記憶は無い。でも、この不思議な感情は嘘偽りなくぼくの中にあって、それが彼女に対して向かっていることもまた偽りじゃない。

 気がつけば食堂に足を運んでいて、気がつけばクレムの姿を目で追いかけていた。小柄な体で動き回るたび、美しい亜麻色のおさげが揺れている。

 クレムはぼくをどう思うだろう。ぼくの声を、ぼくの見た目を、どう感じるのだろう。

 そんな問いが、浮かんでは消えていく。

 

 

「そのスナイパーみたいな目つき、嫌われるぞ」

 今日も例外なく食堂にいて、いつも通りヘンリーは厳しい。

「だけど、ぼくはスナイパーじゃないから」

 不機嫌な友はこっちを睨んだ。

「連日ここに来ているおかげで、おまえと共犯でストーカー扱いされていないか心配だ」

「毎日来ているだけでストーカーになるの?」

「なることもあるしならない時はならないかもな……って、こんなことをいちいち説明してる俺って何!」

「ヘンリーはヘンリーだよ。ぼくの友だち」

 彼は拍子抜けしたように、バタンッとテーブルに突っ伏してしまった。

「おまえさ、今後どうするわけ?

 本当にこのまま毎日毎日ここに通うのか?」

「うん。それ以外のことが思いつかないし」

「それだけじゃ、相手には何も伝わらないだろ」

「じゃあどうしたらいいの?」

「そりゃあ、自分の気持ちを伝えるんだよ。そのまんまを。

 玉砕覚悟でいきなりぶつかってもいいが、堅実にいくなら、好感度を上げることだな」

「どうやって上げるの? クレムを抱っこすればいいの?」

「んなわけあるかッ。

 そうだなぁ、ちょうど舞いこんだシチュエーションを例にすると――」

 

「姉ちゃん、客に対してその態度はないんじゃねぇの?」

 指された先を見ると、酔った男性客とクレムが話していた。

「仕事中ですので、そう言われても困ります」

「ちょっと隣で飲むだけだって。“さーびす”の1つにさぁ」

「――例えば、ああやって彼女が困ってたら駆けつける。

 颯爽と現れたおまえの好感度は上がる。それを積み重ねる。

 ただ、今回はちと面倒に巻きこまれそうだから止めとけよ。今、解決のプロを……」

「なるほど。よく分かったよ」

 席を立ち、騒ぎの中心部へ向かう。背後から「こら待てッ」と聞こえたけど、それに反応する優先順位は低い。

 

「ん、なんだよあんた。この姉ちゃんは俺と喋ってるんだ。用なら後にしてくれ」

「ぼくが用事があるのはあなたです」

 合わなかった男の焦点が、ピタッとこちらに定まる。

「ここで話すとお店に迷惑がかかるので、表に出ましょうか」

「はあ? オレはあんたに用はねぇ。勝手に出て行きな」

「彼女もあなたに用はありません。だから一緒に出ましょう」

 男は目つきを変え、激しく音をたてて立ち上がった。背丈はぼく以上、見上げる程の大男だ。

「あんま調子乗ってると、痛い目みることになるぜ」

「席に戻ってください。私は平気ですから」

 クレムがぼくと男の間に立つ。

「でも、震えていますよ」

「――!」

 瞳に涙を溜め始めたが、口を固く結んでぼくを恨めしそうに見ている。

「あなたが表に出るまで、僕はここを動きません」

「ほう。なら力づくでどかしてやる」

 男はクレムを突き飛ばし、ぼくの胸倉に手を伸ばす。無防備な顔をめがけて拳が振り上げられた。その時。

「そこまでだッ!」

 数人の乱入者に男の動きが止まる。

「喧嘩をしていると通報があったのでやって来たが、君たちのことか」

 輝く胸の紋章。それが何を表すのか、ぼくにも理解できた。

「我々は遊撃士協会の者だ。事情聴取のため、支部までご同行願おう」

「遊撃士!? ちょ、ちょっと待ってくれ。オレたちは喧嘩なんてしてねぇぞ」

 男は慌ててぼくから手を離した。

「ちょいと愉快に騒ぎすぎただけだ。な、兄ちゃん」

「それには同意できません」

「んだとッ。生意気言いやがって」

「はいはい、そこまで。大人しくついて来てもらうからね」

 遊撃士に距離を詰められ、男の威勢の良さは影を潜めた。

「なあ、おっ母には連絡しないでくれよ? 頼むからよ」

 彼らが去ったのを見送ると、別の遊撃士がぼくに向き直った。精悍な顔つきのその遊撃士は、ボリスという名だった。

「助かりました。彼のこと、よろしくお願いします」

「ん? もちろん君にも来てもらわなきゃならないよ。

 喧嘩は両成敗だからね。学校で習わなかった?」

「喧嘩は両成敗……なるほど」

 そして肩を掴まれるまま、ぼくも連れ出されたのだった。

 

               ◇

  

 エドガーたちがいなくなった店内。呆然としているクレム。

「いやー、うちの相棒がすみませんね。騒がしくしちゃって。

 頭でっかちなもんだから、俺の制止も効かずじまいで。

 急発進・急ブレーキなヤツで困っちゃいますよね、あはは」

 笑いかけるヘンリーに、クレムの反応は悪い。

「えーと、げ、元気ですかー?」

「……あの、一緒に行ってしまったお兄さんは?」

「へ?」

「お兄さんの、お名前は?」

「あ、ああ。エドガーですよ」

エドガー、さん。お礼を言いそびれてしまいました」

 そう呟くクレムに、ヘンリーは苦笑するしかなかった。

 

 

 

第3巻 「茜さす君に」

 昨夜の事情聴取は、状況を説明しただけで早々に終わった。相手の男も厳重注意を受けた後、程なく解放されたらしい。

「まったく。迷惑なヤツだよおまえは」

 そして今朝。財団の宿舎で顔を合わせた時点で、彼の機嫌は悪かった。

「俺が待てって言ったのも無視しやがって」

「勝手に首を突っ込んで怪我でもしたらどうすんだよ」

「どうして自分から殴られに行くような真似をするんだ」

 今日は一段と厳しい。

「でもクレムが困ってたから。これで好感度は上がるよね?」

 目を丸くしたかと思えば、怒りはシュルシュルと鎮火して、ヘンリーは諦めたようにうなだれた。

「とりあえず、おまえの名前を聞かれたから答えといた」

「そっか、ありがとう」

「これで“ただの客の1人”から“あの時のあの人”くらいには昇格したんじゃないか?

 お礼を言いそびれたって、残念そうにしてたし」

「そうなの?」

 なんだか嬉しくて、頭の中が痺れる感覚がする。

「彼女、震えてたんだ。喧嘩の仲裁に入ってくれた時」

「そりゃあそうだろ。

 むしろウェイトレスの使命感だけで、よく動けたもんだ」

「うん。強い女性なんだと思う。

 だからこそ、また同じようなことがあったら助けたい」

「へぇ、そう。2度目は助太刀しないからな」

「ん?」

 ぼくの思考が一瞬止まり、すぐにフル回転で動き出す。

「遊撃士に通報したのってヘンリー?」

「ああ。怪我人が出る前に来てくれて良かったな」

「ヘンリーって口うるさいけど、基本は優しいよね」

「そうだろ? ……って、一言余計だ」

 

 

 

 

 

 その日は昼過ぎに食堂へ向かった。入店したぼくに気がつき、クレムはすぐに駆け寄って来た。

「お待ちしてました。お席はこちらです」

 案内されるまま、店内の端へと進んで行く。他の客と距離を取ったテーブル席が用意されていた。

「もう来ないんじゃないかって、少し心配だったんです。

昨日はあんなことがありましたから」 

「ぼくは何も気にしてないですよ。

 クレムさんこそ、ここへ来るのが怖くはないですか?」

 彼女は少し俯いた。

「怖いんじゃなく、情けないです。

 お客さんに助けてもらう形になりましたから。

 エドガーさんには事情聴取を受けさせてしまって、本当にご迷惑をおかけしました」

 クレムはペコッと頭を下げた。

「そうしたいと思って行動しただけですから。

 クレムさんが気にする必要はまったくないです」

「でも……」

「ぼくを守ろうと、クレムさんだって仲裁に入ってくれたじゃないですか。

 だからお互い様です」

 彼女は申し訳なさそうに笑った。

「じゃあせめてお礼だけ。

 今日はサービスしますから、好きなものを食べてください。

 シェフが、一応お友達の分も用意していたんですけど」

「今日は用があって来れなかったんです。

 なので彼が残念がるくらい、たくさん食べてみせますよ」

 ぼくらは思わずクスクスと笑い合った。

 

 日が沈み始めた頃。

「ごちそうさまでした。おかげで楽しかったです」

 出入り口までクレムは見送りに来てくれた。

「良かった。退屈してたらどうしようって不安だったんです」

「退屈するわけないですよ。だって――」

 その続きを言えなくて、そんなぼくを彼女は不思議そうに見つめている。

「だって、きょ、今日は良い天気でしたから」

「それ、関係ありますか?」

「うーん、ないですね」

「ふふ。エドガーさんって面白い。

 また食べに来てくださいね、待ってますから」

「はい。ぼくも待ってるので、いつでも頼ってください」

「え? ……そうですね。その時は頼らせてください」

「待ってます。ぼくは、君の力になりたいので」

「――!」

「それでは失礼します」

 歩き出して少しすると、名前を呼ばれたので振り向いた。

 小さく手を振る君を、夕日が赤く染めていた。

 

 

第4巻 「蛍火の行方」

 

 町から数アージュ離れた一帯に広がる、ル=ロックル渓谷。切り立った両側の崖が、深く細長い谷を形作っている。そのせいか、朝とはいえ絶壁の谷間は薄暗かった。

 ふと、外界と遮断された感覚に陥る。

「空が、狭い」

 遥か頭上を、2羽の鳥が横切って行った。

 彼らが飛んで行く先を見上げ、ぼくは昨日の彼女との会話を思い出していた。

 

 

 

 

「お2人は“ホタル茸”って知ってますか?」

 夕食を食べていると、クレムがそう尋ねてきた。

「見たことあるぜ。食ったことはないけど」

「それってホタルなの? キノコ?」

 ぼくの発言に、口に含んでいた水を噴射するヘンリー。

「キノコだよッ。キノコ生やしたホタルって気色悪いだろ」

 そんな珍味もあり得そう、と思ったことは声に出さない。

「実は、珍しい食材を使った新作メニューを考えていて。

 試作品ができたら、食べてくれますか?」

「もちろんです」

 ヘンリーが呆れたようにぼくを見る。

「即答かよ。とんだゲテモノかもしれないぞ」

 その台詞に、クレムが珍しくむきになった。

「絶対においしい料理にしてみせます」

「だけど、この町じゃ手に入らないだろ?

 どっかの市場まで行けば手に入るかもしれないが。

 仕入れの度にいちいち買いに行くつもりか?」

「そ、その辺は、もう少し作戦を練るところです」

 と、足早に奥へ下がってしまった。

「言い方が厳しいよ、ヘンリーは。

 本当にこの辺りじゃ手に入らないの?」

「どうだろうな。渓谷地帯には森があるし、もしかすると」

 素早く立ち上がったぼくだったが、瞬時に反応したヘンリーにタッチの差で捉まってしまった。

 

 「明るいうちに行くなら良し」と条件を出され、今朝からこのル=ロックル渓谷へやって来ている。そびえる絶壁は少しずつその幅を広げていき、ぼくを取り囲むのは青々とした森へと変わっていった。

 ヘンリー曰く、キノコは「木陰や朽木に生える」。その条件に合う場所はすべて確認し、傘状のそれらしき物体は残らず採取した。おかげで担いでいる袋は結構な重さになってきている。

 万が一ホタル茸を見つけられなかった場合は、代わりにこの大量のキノコを渡すつもりだった。

 

 

 歩き続けていると視界が開け、穏やかな小川が現れた。陽の光がよく差し込んで、水面がキラキラと輝いている。木々には小鳥やリスの姿もあった。

「絵になる、ってこういうことを言うのかな」

 日頃、財団の一員として働いている間は、まず出会えないような美しい景色である。

「ほう。こんなところに観光とは珍しいの」

 草を踏み分ける音と同時に姿を見せたのは、初老の男性。

「1人旅か? 傷心旅行か? それとも、何か探し物かの?」

 じっと見つめるぼくの眼差しに、白髪頭の老人は尻込みした。

「……コホンッ。ワシはここにキノコ狩りへ来ていてね。

 ところが、見るとこ見るとこほとんど抜き取られておる」

 揺るがないぼくの眼差しに、老人の目が泳ぎ始める。

「……ゴホンッ。おや、君が担いでいる袋はなんだね?

 それって、もしかするとしなくても、キノコかい?」

「つまり、交換条件ということですか」

「素晴らしい! 話が分かる若人は嫌いじゃないよ。

 それでは、君のホタ……じゃなくて、欲しいものは何かな?」

「ホタル茸です」

「おお! なんと! 1つだけちょうど持ち合わせがあった」

 老人が差し出したのは、ぼんやりと緑色に光る茸だった。

「見つけるのに苦労したんだよ。有効活用しておくれ」

「もちろんです。ありがとうございました」

「ちょ、ちょっと待ちなさい」

 立ち去ろうとするぼくを、“老人”は強い握力で引き留めた。

「話が違うじゃないか。君の持ってる袋をワシにくれ」

「交換条件を呑むとは言ってないです」

「なっ! ひ、卑怯じゃないか。年寄りをバカにするのか!」

「年寄りにしては、腕の力がすごいですね」

 老人はビクッと身を震わせた。

「すべてぼくに預けてもらえれば、キノコ料理の恩恵があなたに巡ってきますよ。必ず」

「う、うるさい! 手伝ったんだから分け前は欲しいんだ!」

 ホタル茸を取り返そうと、老人はぼくの腕を離さない。

 「いいから返しなさい」「返しません」「返せ」の応酬。

 しかしこのせめぎ合いの終点に気づいた時にはすでに遅く、「あッ」という掛け声でホタル茸は千切れてしまった。2人を包む妙な沈黙。交わらない視線。

 ぼくらは揃って帰路についた。

 

 森を抜け、渓谷を過ぎようとする頃には日が落ちていた。

「若者よ、哀れな老人を背負ってくれても良いのだぞ」

「もう少し歩けば町だから、頑張ろうよ」

 諦めたように、老人はさっさと歩を進める。

お互いに悔しさやら複雑な気持ちを噛みしめている。その時。

「ちょっと、お2人さん。それ、持ってるの何かな」

 背後の声に振り返ると、そこには数日前に顔を合わせたばかりの“彼ら”がいた。

 

「お2人とも、頭に葉っぱがついていますよ」

 夕食を持ってきたクレムに言われ、初めて気がつく。お互いに他のことで頭がいっぱいだったからだ。

「実は新メニューのことで、ホタル茸は無しにしました。

 なんとか作れる方法を考えたんですけどね。ダメでした」

 恥ずかしそうに笑う彼女。

「……じゃあ、結果オーライってことだね」

「ああ、そうだな……」

「え?」

 その晩、ぼくらは無心で食事にありついた。

 

                 ◇

 

 1時間前、渓谷で声をかけてきたのは遊撃士たちだった。食堂での喧嘩の件で出会ったボリスの姿もあった。

 あの一帯は遊撃士協会が所有する訓練場と、一般人が入れる観光エリアとが区切られているようで、ぼくらは夢中になるあまりその境界線を越えてしまっていた。

 

 そして見事、採取したキノコはすべて没収されたのだった。

 

 

 

 

第5巻 「引き寄せられた出会い」

 

「なぁ、この場所はヤツらの縄張りじゃないよな?」

 少し離れたところから、ヘンリーが声をかけてきた。

「そんな言い方すると、今度から助けてもらえないよ」

「ケッ、構わないね。人の努力を踏みにじる上に、融通も利かない連中だ。許すまじ」

 もはやホタル茸探しに行っていた事実を隠すことなく、恨みの愚痴をこぼしては、白髪のカツラを弄んでいる。

「おまえは腹が立たないのか?」

「ぼくらがルール違反をしたんだから、仕方ないよ」

「そのお人好し神経はどこで作られてるのやら」

 声色からして、げんなりしているのが伝わってくる。

「さっきからピクリとも反応がないし。集中力が切れそうだ」

「みんなお腹空いていないのかな」

「あーあ。嫌な予感がする」

 2つの釣り糸は、時折、風に揺らめくだけ。

「こうなったら、助っ人がいないか探してくるわ」

 すると釣り竿はそのままに、ヘンリーは川沿いを下って行ってしまった。

 

 ここは再びのル=ロックル渓谷。

 失態を演じたキノコ狩りから気を取り直し、クレムを喜ばせる大物を手に入れようと、ぼくらは魚釣りに来たのだった。

 

 

 しばらくして、ヘンリーは見知らぬ男性を伴い戻ってきた。

「“餅は餅屋”ってな。専門家を連れてきたぞ」

 帽子を被ってジャケットを羽織り、紐付きの箱を肩に下げ、竿を持った中年の男性は紛う方なき釣り人だった。

「別のポイントで釣ってるところを声かけたんだ。

 釣公師団の団員だってさ。プロ中のプロってことだぜ」

「若き釣り人たちの力になれるなら、お安い御用だよ」

 ぼくらは簡単に自己紹介を済ませた。

「それで、今日は何を狙っているんだい?」

「珍しい魚です。ある人への贈り物にしたくて」

「とても漠然としているが、プレゼントに魚とは気に入った。

 珍しい種類となると相応の道具が必要になるが……」

 師匠はぼくらが使っている釣り竿を手に取った。

プログレロッドか」

「町で借りられたのがこれだけでした。師匠」

「師匠呼びは原則なのか?」とヘンリー。

「エサは何を?」

「ミミズです」

 師匠の顔から笑みが消える。

「君たち、大物を釣り上げる気はあるのかね?」

「昼時に垂らせば、みんな食いつくと思っていました」

 その回答に、ひどく残念そうなため息を吐かれる。

「はい、これ持って。剛竿トライデント。

 大物攻略向けの竿だ。生きたままの中型魚をエサに使う」

 師匠の愛用竿を渡され、ぼくは準備に取りかかった。

「俺はどんな竿を貸してもらえるんですか! 師匠!」

「君はエサになる中型魚を釣っていくんだ。

 使うのはミミズでいい。ただポイントを変えよう」

 代わり映えしない自分に落胆するヘンリーだったが、指示されるまま、さらに距離を置いたところへ移動する。

「小物なら、そう時間はかからずにヒットするはずだ」

 師匠の言葉通り、数分もしないうちに「んんッ」とヘンリーが唸り声を上げた。ぼくも傍に近寄り、3人でじっと見つめる。

「どりゃ――!」

 勢いよく引き揚げられる釣り糸。その先に引っかかる物体。

 

「長靴かよッ」

 穴あき長靴は無慈悲な青年によって地面に叩きつけられた。

ところがその後は順調に中型魚を釣り上げ、それをエサにぼくが剛竿トライデントを構える。

「来たぞ」

 待つこと10分。竿が引っ張られた。魚影が濃くなり、激しい水しぶきが上がる。

 相手の引きが弱くなる頃を見計らい、一気に引き抜いた。

「くッ……!」

 水中から大型魚が姿を現す。打ち揚げられた魚を見た師匠が「おおッ」と声を漏らした。

「長い髭に鋭く尖った歯……間違いない、ガーヴェルズだよ」

「珍しい魚ですか?」

「この場所で釣れるのは珍しいな。“湖底の暴れん坊”という異名の通り、湖で釣れる魚だ」

 喜びに浸るぼくと裏腹に、師匠の表情は険しい。

「どうしました?」

「……1つ、相談なんだが」

 師匠は改まったように姿勢を正した。

「このガーヴェルズ、わたしに譲ってはくれないか」

 思わずぼくらは顔を見合わせた。

「おいおい、手解き料を請求するとは聞いてないぞ」

「まさか。君たちを欺こうとしているんじゃないよ。

 こいつを、ぜひ釣公師団に持ち帰りたい」

「他人の手柄をコレクションにするのか?」

「そうじゃない。わたしは生態系にも興味があってね。

 湖に暮らすこの魚がなぜここにいるのかを研究したいんだ」

 師匠の真剣な表情は変わらない。

「それに、この魚は“人食い魚”――」

「ひ、人食い!?」と、ヘンリーが飛び退く。

「って、噂されている。装飾品を吐き出すことがあるようで。

 それを君が受け取るという条件でどうかな」

「だ、誰かの遺品を俺たちに掴ませるってのか?」

「人食いは噂だ。大方、底に沈んだ物を飲み込んだのだろう」

「……随分、都合の良い話に聞こえるが。どうする?」

 ヘンリーは窺うようにぼくを見た。

 根拠は無い。でも、師匠は嘘を言っていないように思えた。

「分かりました。そうしましょう」

「ありがとう。恩に着る。君とはどこに行けば会えるかね?」

「ふだんは町の食堂にいることが多いです」

「承知した。数日のうちに、品物を必ず持ってこよう。

 それでは早く魚を運んでしまいたいので、先に失礼するね」

 師匠は手際よく道具類を片付けてしまう。

「……その子は、研究に使われたら死んでしまうんですか?」

 心配するぼくをよそに、師匠は朗らかに笑った。

「いいや。わたしが責任を持って、面倒を見させてもらうよ」

 そう言って手を振り、師匠は去って行った。

 

「今日会ったばかりの人間をよく信用したな。

 そのまま戻ってこない可能性だってあるんだぞ」

「欲しがる人に貰われた方が、あの魚も嬉しいかもしれない」

「なんだよ、それ」

「でももし君の言う通りになったら、その時は仕方ないかな。また釣りに来ればいいよ」

「仕方ない、か。それで気が済む性格が羨ましいよ」

「ヘンリーは、どうしてぼくがクレムを好きなのか分かる?」

「え?」

「自分でも分からない。だから、仕方ないんだ」

 それからすぐに、ぼくらも帰り支度を始めた。

 ヘンリーは、ただ黙っていた。

 

 

第6巻 「守りたいもの」

 

「人の記憶って不器用だよね」

 遠くから、君の声がする。

「嬉しいことも嫌なこともぼんやりと覚えていて、

年を取りながら気づかないうちに順番に忘れていく」

「……」

「でも、苦い思い出の方が頭に残ってることが多いのは、神様からの戒めなのかな」

「……」

「それなら、不器用なりにその瞬間と瞬間を、あなたと共有したいと思う。

 思い出すことも忘れることも、ずっとあなたとできたらいいなって思うの――」

 

「――エドガーさん?」

 水面の波紋が広がるように、ゆっくりと意識が戻ってきた。

今、ぼくの隣にはクレムがいて、一緒に渓谷を歩いている。

 弁当の配達で遊撃士の訓練場へ向かった、その帰り道だった。

「ごめん。考え事を……」

 クレムは僕の額に手を当てた。

「熱は無いですね。でも、あまり頑張りすぎちゃダメですよ」

 にっこり笑って、クレムは先に歩き始めた。

 ああ、こんな時がいつまでも続くようにと願ってしまう。

今回の付き添いにぼくを選んでくれたのはどうして?

さっき聞こえた君の声は、ぼくの願望を映したのだろうか。

 

エドガーさんは、好きな食べ物は何ですか?」

ようやく街道まで出たところで、彼女は言った。

「うーん、クレムさんが作るものかな」

「ふふ。エドガーさんって、そういうこと言うんですね。

 じゃあ今度、リクエストしてくれたら作りますよ」

「本当に!? やった、楽しみが増えました」

「嫌いな食べ物はありますか?」

「無いです。何でも食べます」

「羨ましいなぁ。それなら、トマトも平気?」

「はい、トマトも」

 ”トマト”という単語に、ぼくの中で何かが引っかかった。

 

「私はどうしても苦手なんです。生は特にダメで」

 生トマトを嫌っている君。

「子どもの頃に、食べようとして吐き出しちゃったんです。

 せっかくお父さんが食べさせてくれたのに」

 理由は、自分でも分からない。

「どうしてなのか、自分でも分からないんですけどね」

 沸々と、あのシーンが思い浮かんだ。

エドガーさん?」

「飲みこむのも嫌なんて、ひどいですよね。って思った?」

「――! そ、そうです。でも、どうして」

「……いや」

 以前、食堂で思い浮かんだイメージ。あの時と、今の台詞。

「知っている、かもしれないから」

「え?」

 脳内にあるこれは、もしかして。

エドガーさん、どういうことなんですか」

 クレムがぼくの腕を掴んで揺さぶる。

「ぼくは――」

 その時だった。

 荒々しく草を掻きわける音と共に、数体の影が躍り出た。

「ま、魔獣!?」

 猫型の魔獣・トビネコが3匹。街へ続く方角を塞ぎ、ぼくらを威嚇している。

エドガーさんッ」

 冷静に、怯えたクレムを背後へ隠す。

「街道まで出てきたってことは、近くの導力灯が故障しているのかもしれない」

「ど、どうしよう」

「町へ行くのは無理そうだ。来た道を戻ろう」

 すでに泣きそうなクレムの手を、固く握る。

「遊撃士の助けを呼べれば何とかなる。そこまで行くよ?」

 うんうん、と何度も頷く彼女と共に、ぼくは走りだした。

 

 

 

 

「ハァ……ハァ……」

 どのくらい走ったのだろう。彼女の息が切れてきた。代わり映えしない景色の中、薄暗くなったせいで視界は悪い。

 足を止めると、クレムはしゃがみこんだ。

「ごめんなさい。私が、足手まといで……」

「謝るのはぼくの方だ。すぐ彼らに会えるはずだったのに」

 協会支部の位置も、見当がつかなくなってしまった。

 バタバタと鬼気迫る足音は、方向感覚をも鈍らせた。

「もう少し休めばまた――きゃッ!」

 1匹のトビネコがクレムめがけて飛び出してきた。間一髪、落ちていた大枝で殴りかかりそれを跳ね返す。しかしその隙に、他の2匹が背後から襲いかかった。

 硬い爪で裂かれる感触がした。1匹は背中、もう1匹は足。振り向きざまに枝を振り下ろすが素早い動きでかわされ、今度は肩と頭を狙われた。にわかに視界が揺らぐ。もう一度枝を振り回すと1匹に命中し、動かなくなった。

 クレムは口を覆って立ちすくんでいる。

 彼女に近寄る1匹を殴り飛ばした。しかし瀕死にはならず、ぼくの後頭部は抉るように爪で突かれた。

 その瞬間、膝から崩れ落ち、クレムの悲鳴が聞こえた。魔獣の金切り声と彼女のぼくの名を呼ぶ声。

 意識に蓋をされるその間際、最後に耳に入ってきたのは、人の足音と男性のかけ声だった。

 

 

 

第7巻 「血は流せずとも」

 

 私は、名前を叫ぶことしかできなかった。直線状に彼はうつ伏せに倒れていて、そのまま動かない。体が傾いた瞬間の、何か言いたげな眼差しが頭をよぎる。

 すぐに傍に駆け寄ることも、地面に放り出された大枝を手に戦うこともできなかった。標的を変えた魔獣たちはこちらへとにじり寄ってくる。

 それでも叫び続ける自分の声に混じって、遠くから響く他の音を耳にした。徐々に近づく足音と「ここだ!」という掛け声。

 鋭い爪でエドガーさんを傷つけたトビネコは、遊撃士たちによってあまりにも呆気なく倒されていった。

「到着が遅れてごめんなさい。怪我はありませんか?」

 女性遊撃士に声をかけられ、首を横に振る。

 彼女たちはエドガーさんへ視線を移した。彼を囲うように集まり、状態を見ている。

「この青年は……どういうことだ……ともかく病院へ」

 離れた場所にいる私には、会話の節々だけが聞こえてきた。

「男性を先に運ばせてもらいます」

 それだけ言うと、エドガーさんを連れて行こうとする。

「あ、あの。エドガーさんは助かりますか」

「我々ではなんとも言えません」

 触れることもできないまま、彼は行ってしまった。

 

 

 

 残った人たちに伴われ、私も渓谷を後にした。

「ご迷惑をおかけしました。導力灯はすぐに直してもらいます」

 食堂の前まで送ってもらったところで、女性の遊撃士・ベラさんが頭を下げた。

「あの青年のおかげで、あなたを助けることができました」

エドガーさんは、強い人ですから」

 しばしの重い沈黙の中、1人の遊撃士が声を上げた。

「……エドガーという青年。見覚えがあると思ったら、キノコ狩りの一件の時だ」

 その人はボリスと名乗った。

「彼が、大量のキノコを持ち帰ろうとしていたんだよ。

 一般人は立ち入り禁止のところで採っていたようだから、全部回収したんだが」

「ああ。ホタル茸は渡すのに渋ってたよな。たしか、大切な人が欲しがってるからって」

「そういえば、ここで起きた喧嘩の事情聴取でも会ったんだ。

 その時は、ある人を助けたかったって言ってたな」

「ははッ。なんだか縁があるな。――って、どうしたんだ?」

 私は1人、頬を濡らしていた。

「……そう、そうだね。彼には元気になってもらわないとね」

 ベラさんに背中をさすられ、とめどなく溢れる涙を止めることはできなかった。

 

 

 翌朝。仕事は休んで、病院へ向かった。受付でエドガーさんの名前を伝えて、病室を探してもらう。

 しかし見つからなかった。確認してもらうと、ここへは運びこまれたが、すぐに別の場所へ移動されたという。

 私は次にそこを訪れた。

 

「エプスタイン財団……知能開発研究所」

 怪我人を受け入れる施設とは無縁の場所に思えた。

「どうしてこんなところに」

 意を決して、建物内に足を踏み入れる。作業着の人、白衣を羽織っている人が目につく。

 疑念を抱え、真っ直ぐ受付に進んだ。

「こちらにエドガーという青年が運ばれてると思うのですが」

 受付嬢は、意味が理解できないと言いたげな顔をした。

「昨晩、怪我をした青年をここに運んだと病院で聞きました。どの病室にいるのでしょう?」

「そんな人が来た連絡は受けていませんが」

 眉間に皺を寄せ、さも不愉快そうにしている。

「場所は言えないなら、いるかいないかだけ教えてください。ここで待ちますから」

「それは困ります。お引き取りください」

「いいえ、待ちます」

 女性同士の押し問答に、見物人が集まり始めた頃。

「その子の言ってることは間違ってない」

「もちろんです……あッ」

 声の主はヘンリーさんだった。皺のついた白衣を着ている。

「良かった。ヘンリーさんに会えて」

「……この子は俺が引き受けるから、仕事に戻って」

 受付嬢をなだめると、さっそく私を案内してくれた。

エドガーさんと会いましたか?」

「ああ。会ったというより“見た”だけど」

 頑丈そうな扉の前で立ち止まり、中に入る。暗い廊下を奥へ進むと、ガラスの壁で隔てられた部屋があった。

「エ、エドガーさん!」

 その部屋で彼は台に横たわっていた。

 

 金属の2つのアームが、身体の周囲で何かを行っている。

「ヘンリーさん、これは」

「傷ついたところを直してる。特に脳の損傷がひどくてな」

「そ、それって……機械の体になるってことですか?生身の体には戻れないんですか?」

「……」

「こんな光景……あんまりです。機械仕掛けなんて。

 彼は私を守って怪我をしたんですよ?

 必要なら、治療に私の体を使ってください。

 それでなんとか元に戻してくださいッ。

 約束したばかりなんです。今度好きな料理を作るって。

 だから――」

「今、あんたが心配してることは何一つ問題じゃない」

 初めて聞く、冷たい声だった。

 ヘンリーさんは、横たわるエドガーさんから目を離さない。

「なぜ少しも怖がらずに酔った大男に喧嘩を売れるのか。

 なぜ長い時間走っても息が切れないのか。

 なぜ魔獣の爪で裂かれても一滴の血さえ出ないのか。

 ……考えたか?」

 私は、穏やかな表情のエドガーさんを見やった。

「機械人形よりも遥かに高尚な存在。

 文字通り血も涙も無い、ヤツは、人間の皮を被った人工知能なんだよ」

 

 

 

第8巻 「その手を離さぬように」

 

「言っている意味が、よく分かりません」

 戸惑う私を見下ろして、ヘンリーさんは口を開いた。

人工知能。俺たち人間の脳の働きを機械に行わせる。

 機械人形のような傀儡よりもずっと先進的なシステムだ」

「……」

「エプスタイン財団はその方面の開発を進めていてな。

 特に状況判断や言語理解の向上に力を入れている」

「……」

「胴体内には胃袋の役目を担う装置があって、飲食も可能。

 まぁ、毎日中身をメンテナンスする必要はあったが、形だけでも人間の食事はできていたわけだ」

「……ありません」

「ん?」

「彼は、機械じゃありません」

 ヘンリーさんは表情を変えない。

「だって、あんなに良い人が機械だなんておかしいですよ。

 楽しそうにお喋りして、おいしそうにご飯を食べて。

 それに私に……私に『君の力になりたい』と、あの声で真っ直ぐに伝えてくれたんです。

 こんなにも人間らしいのに」

「その通り。あいつは人間“らしい”んだよ」

「――! ち、違います。そういう意味じゃ」

「造りは機械でも、感覚や感性は限りなく人に近づける。

 あいつがそう作り上げられた目的は1つ。

 “人工知能に感情を持たせることは可能なのか”

 それを実験するためだ」

 徐々に自分の呼吸が浅くなっていく。

「……じゃあ、これまでのことは?

 エドガーさんの想いは、抱く気持ちは、仕組まれたことだって言うんですか」

「そうだ。財団の研究のため、今後の開発のため、あんたが対象に選ばれた。

 すべて実験の一環ってことだ」

「そんなの……」

 私は力なく座りこんだ。

エドガーさんは知ってるんですか?」

「自分が人工知能である認識はある。

 でもどんな目的を持たされているかは知らせてない。

 あんたに好意を寄せるようになった理由もな」

「それを分かってて、ただ傍観していられるあなたの気が知れません」

「……」

「だって、大切な友達ですよね。

 あんなに仲良くしてたじゃないですか。

 エドガーさんを裏切るようなことを、どうして」

「勘違いするな」

 その一言はあまりにも鋭く、深い憤りに満ちていた。

「機械と人間。恋愛感情どころか友情だって成立しやしない。

 “エドガーとヘンリーは親友である”

 作り上げられた設定だよ。実験には観察者が要るからな。

 上の指示に従い、俺は仮面を被って装っていただけだ」

 言い切ると、ヘンリーさんはため息を吐いた。

「これでよく分かったろ。あいつは精巧に作られた見せかけの人間だってことが」

「……」

 あの穏やかな顔も、優しく語りかける声も、恐怖から逃れるために固く握られた手の感触も、すべて彼のものではないの?作り物だというの?

 納得しなきゃいけない。でもそう感じれば感じるほど、反発する自分がいる。

 立ち上がった私を見るヘンリーさんの瞳は、迷いを残しているように思えた。

「あなたは、それで良いんですか?

 エドガーさんとの日々を、無かったことにできますか?」

「できるも何も、初めから何も無い。

 1から0にするんじゃなく、元々0止まりなんだよ」

「彼に言われたこと、すべて忘れられるんですか」

「……」

 ヘンリーさんは私から視線を外し、彼の方へ顔を向けた。

 その横顔は、何かを思い出しているように見えた。

エドガーさんは、真実な言葉をくれました。

 それはあの人が私たちのことを考え、紡いでくれたもの。

 その瞬間の彼はきっと……人、そのものだったはずです」

 ヘンリーさんは、そっと目を閉じた。

「……1つ、研究者たちの誤算があるとすれば」

 ガラスの向こうで、片方の金属アームが動きを止めた。

「予想を超えたところまでエドガーの人格が形成され、

 自ら人間らしい気持ちを抱くようになってしまったことだ」

 もう片方のアームも停止し、辺りは静寂に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

                                                           ◇

 

霞がかったような意識の中、ぼくは走っていた。

 誰かに手を引かれている……ここは、森? ああ、そうだ。

 クレムは? 遊撃士は来てくれたのか? 町へ戻れたのか? 早く行かないと。

そっちじゃない。止まってくれ。

 君は誰だ。どこへ行くんだ。ぼくを、どうするつもりだ。

 そこで、目が覚めた。

 

 

 

 

 

 

第9巻 「眠らない夢、それは」

 

 ぼくは作業台に寝かされていた。

「よう。お目覚めか」

 顔を少し傾けると、ヘンリーが部屋に入ってくるのが見えた。上体を起こすのに、余計な時間がかかる。

「おかしいな、上手く体を動かせない」

「後頭部を傷つけられたからな。“大手術”だったんだぞ」

 うなじの少し上を触ると、縫った跡が分かった。

 ぼくにとっての心臓部。エドガーという存在の中枢だ。

「クレムは? なんともない?」

「かすり傷で済んだ。元気にしてるよ」

「良かった。じゃあ遊撃士が来てくれたんだ」

 ヘンリーは微笑みながら頷いた。

「彼女に会いたい。もう動いていいんだよね?」

 返事を待たずに作業台から降りる。

「……伝えたよ。おまえのこと」

 その言葉に、出口へ向かう足は止まった。

「おまえに会いにここへ来たんだ。

 病院にはいなかった、って受付嬢に食ってかかってまでな」

「それで?」

「処置中の姿を見せたら、納得して帰ったよ。

 やっぱりあの人は普通じゃないと思ってたって」

「……はは」

「なんだよ」

「ヘンリーは嘘が下手だね。

 あの子がそんなことを言わないのは、分かってるでしょ」

「……」

「さすがにショックは受けただろうね。人の心は繊細だもの」

 ぼくは再び作業台に腰かけた。

「随分と冷静だな。機械の感覚は鈍ってないようだ」

 ヘンリーはそう言いながら、傷ついたような顔をする。

「なぜ処置が終わったのに宿舎に帰されなかったのか。

 どうしてクレムに会わせようとしないのか。

 今の君が、ぼくの知ってる君と雰囲気が違うのはなぜか。

 それらから結論を導けるくらいには、まだ人工知能だよ」

「……そうか。話が早くて助かるよ」

 人工物とは思えない健康的な色の肌と藍色の髪を撫でる。

「クレムと渓谷を歩いている時に気が付いた。

 ぼくの頭には彼女の情報が入れられていたんだって。

 食べ物の好き嫌いや、子どもの頃からの癖」

 隣を歩くクレムの笑顔を思い出す。

「彼女を対象としてインプットするための、些細な情報だよ。

 ただそれだけのはずだった。でも、ぼくは特例らしいね」

 ヘンリーはじっと話を聞いている。

「時々、頭が重くなって見えたおかしな風景。

 あれは、ぼく自身の願望が入り混じったものだったんだよ。

 彼女と過ごしたい、話したいと感じたことの結晶だった」

「……」

「これでも、この先に待つ結論は変わらないの?」

「手術をしたら、やけに饒舌になったんじゃないか?」

 ヘンリーはこちらへ近寄ってきた。

「実験の成果は出たよ。むしろ危機感を覚えるほどな」

 正面に立ち止まり、ぼくを見据える。

「自意識が発達した人工知能は管理に支障をきたす。

上からそう判断が下った。おまえの思考データを抜き取り、分析後は新たな外見と人格で、実験を継続することになる」

「ヘンリーはどうなの? 同じ考え?」

「……ああ。面倒を起こされては困るからな。

 俺は研究員として名を揚げたくて、実験に参加したんだ。

 だから、人工知能のお守りなんて面倒な役割も引き受けた。

 成果が出た以上、その役割も終わらせる」

「ぼくは、管理に支障をきたすような人工知能

 ヘンリーも、そう思っているの?」

「そうだよ、その通りだ。

 酔っ払いに喧嘩を売って顔を粉々にされそうになったり、

 あるかも分からないキノコを探しに行ったり、

 珍しい魚を釣りに行っても結局は獲物を譲っちまったり、

 もううんざりなんだよ」

 言い切ろうとする彼の声は震えていて、頬は紅潮していた。

「そう。分かった。ヘンリーの指示に従うよ」

「えッ……」

「財団の意向に従うんじゃない。君の希望を呑むってこと」

「でも、クレムは」

「彼女は……会わないままでいい。その方が良いんだ」

「なんで、急に」

「さっきまでの冷徹科学者っぷりはどうしたの?

 ぼくの気が変わらないうちに、早く準備をした方がいいよ」

「……」

「どんな形であれ、君のことは大切な友だと思ってる。それだけだ」

エドガー……」

「久しぶりに名前で呼んでくれたね」

「……」

 それから、ヘンリーは装置の準備をしに行った。

 

 すぐ近くで装置の機械音が聞こえる。なんだか身体が軽くなった気がして、意識は朦朧としている。でも目は開けられた。周りには誰もいないらしい。

 ペンと紙を掴んでいる感覚がある。せめて手紙を書こうと、ヘンリーが用意してくれた。だけど文章が決まらなくて、まだ何も書けずにいる。言いたいことがあるのに、まとまらない。

 ペンを持つ手が震える。紙に染みこむのは頼りない線ばかり。

ありがとうも、ごめんねも、伝えなきゃいけない。

 それと――

 

 

 

 夕方の食堂。私は、いつも通りに仕事に来た。他に行きたい場所も無いし、働いてる方が気が紛れるだろう。

 数時間前にいたあの場所で。エドガーさんが目を覚ました時。私はヘンリーさんの呼び声も無視して建物から飛び出した。

 もう会えないと思ってしまったから。目を合わせないほうが良いと感じてしまったから。

 これまでを無かったことにはできない、だから、忘れよう。

そうでしか私には、自分を守れないから。

「あの、すみません」

「は、はい」

 目元をこすって振り返る。1人の中年の男性がやってきた。

 

 

 

第10巻 「人でなしのエドガー」

 

「ここに、エドガーという青年はいるかい?」

 予期していなかった名前に、顔が強張る。

「普段はこの食堂にいると教えられて来たのだが」

「彼は、もう……」

 そう言いかけて、止めた。

「今日は、まだ来てませんよ」

「そうか。ヘンリーくんは?」

 首を振ると男性は残念がった。魚が描かれた上着が目につく。

「どちらかでも顔を見せたら、宿にいると伝えて欲しい」

 承知したことに後悔したが、すでに立ち去った後だった。

 

 

 その夜。エドガーさんの姿を見ることなく、店は閉まった。

この1日が当たり前になる。終わらない夜が続く気分だった。

「普通に働いてたんだな」

 掃除が終わり外へ出ると、ヘンリーさんが立っていた。

「何か用ですか?」

 ヘンリーさんは黙って、折りたたまれた紙を差し出した。

「中は見てないからな」

 帰るのかと思いきや、背中を向けて立ち止まっている。

 開いた用紙には、文章がたどたどしい字で綴られていた。

 

『初めて、手紙を書きました。

 言いたいことがまとまらないけれど、許してください。

 機械には“忘れる”という概念は存在しません。

 正確に記録する。正確に記録を削除する。それだけ。

 そんな無機質なぼくには、忘れることは決して悪いこと、

 後悔することばかりじゃないように思えていました。

 

 でも今、これを書いている瞬間は、不思議と“忘れたくない”気持ちが湧いてくるんです。

 

 このぼくを……心臓の鼓動も、流れる血も持たないぼくを1体じゃなく、

 1人として見てくれた君に出会えたから。

 

 

 ただの傀儡で生を受けた存在に、彩を与えてくれたから。

 ありがとう。

 

 そんな君を失望させる別れ方になってしまった。

 ごめんなさい。許しを請うには、嘘が大きすぎるね。

 ただどうか、ヘンリーのことは怒らないでほしい。

 

 最後に、ずっと変わらず胸に抱いてきた、この想いを。

 ――君に幸多かれ。そう祈ろう』

 

「……ッ」

 紙をギュッと握りしめて、私は泣き崩れた。

 声を殺しきれず、夜の街に響き渡ろうが構わなかった。

 通りかかった人に不審に思われようが、どうでも良かった。

エドガーさん……」

 呼びなれた彼の名を口にし、立ち上がる。

ヘンリーさんはこちらを向いて、苦しそうな表情をしている。

「力を貸してください」

 彼は私と視線を合わせた。

「少しだけでいいんです。あなたの立場は分かっています」

 

 ヘンリーさんに案内された扉の前に私は1人で立っている。

「俺にできるのはここまでだ」と、連れてきてくれた。

 別れ際に、夕方にやってきた中年の男性の来客を伝えると、何かを思ったように険しい表情で立ち去って行った。

 けれど、今はもうどうでも良かった。

 私は深呼吸を1つして、ドアノブを引いた。

「!? なんだ、おまえは」

 白衣の研究者たちが、一斉に振り返る。

彼らが見つめていた先には、台に横になるエドガーさん。

「どうやって入ってきた! 立ち入り禁止だぞ!」

 怒声に怯まず、前へと進み出る。

エドガーさんを返してください」

 数人が目を合わせ、せせら笑う。

「君か。研究所に乗りこんできた少女というのは」

「すでにエドガーのデータは回収し、分析中だよ」

「残念ながら、君が出会ったエドガー青年はもう存在しない」

「……彼が抱いていた気持ちに、目を向けてください」

 声が震えているのが情けなかった。

人工知能は人間とは違う。技術の集大成であり、道具だ」

「……科学は、道具を生み出すだけがすべてですか」

「なんだと?」

「彼が身につけたものを、もっとよく知ってください。

 彼が行動し、発した言葉から生まれた絆を見てください。

 彼によって繋げられた人の輪を無視しないでください」

「わたしからもお願いしたい」

 突然部屋に入ってきたのは、夕方に出会ったあの男性。

「わたしも彼との話が終わってない。伝えるべき礼もある」

「い、一般人がぞろぞろと。警備員は何をしてる!」

「ともかく、たかが感傷的な理由で研究成果は手放さないぞ」

「そうだ、この結論は変わらない」

「感情論がダメなら、ちゃんと手続きを踏めばいいのかい?」

 男性の話を聞きながら、私は廊下からの足音を耳にした。

「釣公師団から、正式に遊撃士協会へ依頼をさせてもらった。エドガー氏の身柄の返還をな」

 男性の言葉に、研究員たちの顔色が変わる。

「ふぅ。エドガーのために、どうにか間に合ったみたいだな」

「ええ。こんなに早く渓谷での恩を返せる時が来るなんてね」

 現れたのは、ボリスさんとベラさんの2人だった。

エドガーくんがどれだけ慕われているかも、これで分かってもらえるんじゃないかな?」

「どうかお願いします。エドガーさんを返してください」

 こちら側の増援に、研究員たちはたじろぎ始めた。

「し、しかし。君たちはリスクを考えていない。

 人工知能に自我が発達したら、管理下に置けなくなるんだ」

「そうだ。万が一、我々の下から離れることがあれば、どこで何を起こすか分からない。

悪用される可能性もある」

「それはッ……」

 この状況でも研究員たちは断固として譲る気配は無く、

私たちは口を閉じるしかなかった。

「じゃあ、1つ提案させてもらいたい」

 背後の声。振り返った先にいたのは、ヘンリーさんだった。

 

 長い眠りから覚めて、思考も意識も動きが悪い。宿舎の天井をしばらく見つめた後、

ベッドの傍へ視線を移す。

 こちらに微笑むクレムがいた。

 ぼくは後に事情を知った。みんなの働きのおかげで、人格が戻されたこと。この町を離れない条件で、生活する権利が与えられたこと。……その条件をクレムも望み、彼女をこの町に縛りつける結果になってしまったこと。

 

 騒動の翌朝。

 ずっと聞きたいと願っていた彼女の言葉を、ぼくは忘れない。

「おはよう」

《完》