赤い月のロゼ 第5回 別れの挨拶
「こいつが『吸血鬼事件』の犯人……か」
ガラード隊長は、出来上がってきたスケッチを真剣な顔で眺めていた。
アルフォンスは吸血鬼と遭遇した次の日の朝、ガラード隊長にそれを報告した。
彼に手渡されたスケッチブックは、アルフォンスの証言をもとに描かれた全身黒ずくめの人物の似顔絵だ。顔の上半分が隠れてはいるが、特徴がしっかりと再現されたこの絵は今後の調査・警戒に大いに役に立つことだろう。
もちろん、この人物が本当に吸血鬼であることや、彼が霧となって消えたことはガラードにも伏せたままである。あくまで、人々に警戒を呼びかけるために用意したものだ。
本来なら全てを明かし、万全な対策をとりつつ部隊をあげて捜索・討伐を行うべきなのだろうが――おそらく普通の人間では、あの吸血鬼に太刀打ちすることは不可能だ。それは昨晩、手痛い一撃を受けたアルフォンスが誰より分かっていた。下手に手を出せば、無用な犠牲が出る。そもそも大人数で調査を行えば、身を隠され、帝都から逃げられてしまう可能性もある。確実に吸血鬼を止めるためには、ロゼと自分だけで追っていくしかないのだ。
「とにかく、アル。お前とルッカちゃんが無事でよかった」
俺にはそれが何よりだ、とガラードは安心したようにため息をつく。
黒ずくめの人物については似顔絵を交えて、迅速に注意が喚起されることになった。人々が夜に出歩くことを控えてくれれば、被害もこれまで以上に減るはずだ。
ガラードには「怪我もあるし今日のところは休め」と言われてしまったが、ロゼと合流して調査をしなければならないとアルフォンスは告げた。
「くれぐれも無理はしないようにな」
アルフォンスは、部屋を出る時にガラードがかけてくれた言葉を思い出す。普段は厳しい隊長だが、彼は自分のことを本当の息子のように案じていてくれる。そのことに心の中で感謝し、改めて気を引き締めるアルフォンス。
「絶対に無事に、この事件を解決してみせる」
そうして、ロゼとの合流場所に向かうために詰所を出ようとしたところで、不機嫌そうな顔をした同僚――エルロイに遭遇した。どうやら朝の訓練を終えてきたらしく、汗を流してはいるが少しも息が切れていない。彼はガラード隊の中でも随一の剣の腕前を持ち、同じだけの訓練を積んでいるはずのアルフォンスや他の隊員たちよりも飛びぬけた実力を誇っている。そこからくる優越感からか、彼は常に他人を見下したような態度をとってしまう。今回もそれは同じであり、顔を見るなりエルロイは不敵な笑みを浮かべた。
「……聞いたぞ、アルフォンス。例の『吸血鬼事件』の犯人らしき人物と遭遇したそうだな」
「まあな」
「情けないヤツだ。その場でそいつを捕まえられていれば今頃事件は解決していただろうに」
顔を見るなり突っかかってきたエルロイに、アルフォンスは黙り込んでしまう。いつもなら喰ってかかるところだが、今回ばかりは彼の言い分が正しい。自分が力不足でなければ、あの場で吸血鬼を倒すことも可能だったはずだ。そんなアルフォンスの様子を見て、エルロイは勝ち誇ったように腕を組み、鼻で笑う。
「隊長に贔屓されて調子に乗っているんだよ、お前は。これに懲りたらあまりでしゃばらないことだな」
ガラードを引き合いに出されてさすがに反論に転じようとするアルフォンス――だが、何かを言おうとした所でやめてしまう。腕を組んだエルロイの左腕が、包帯で何重も巻かれているのに気づいたからだった。
「……その包帯、どうした?」
思わず案じてそれを指差すと、エルロイは一瞬だけ戸惑った表情を見せる。
「何だ、急に……別に、大したことじゃあない。さっきの訓練で誤って怪我をしてしまっただけだ」
包帯には薄く血が滲んでおり、新しくついた傷なのは間違いなさそうだ。
「フン、お前のそういうところが気に入らないんだ」
突然身を案じられて調子が狂ってしまったらしく、エルロイはバツが悪そうに舌打ちしながらその場を後にした。それを頭を掻きながら見送るアルフォンス。
彼にとって、もともとエルロイはそこまで悪感情を感じる相手ではなかった。なのに一体、いつからこんなことになってしまったのか、アルフォンスには分からないのだった。
「やれやれ……」
こんなことを考えていてもしかたない。ともかく吸血鬼事件に集中しなければならない。気を引き締めなおしたアルフォンスは、そのまま詰所の扉を開けてロゼのもとに向かった。
◇
先日に引き続き、4番目の被害者が発見された現場で、アルフォンスとロゼは合流した。しばらくの間そこを調査していたが、やはり吸血鬼に繋がる手がかりは見つけられない。そこで、何やら考え込んでいた様子のロゼが、昨晩まさに吸血鬼に遭遇した通りに行ってみることを提案し、アルフォンスもそれに賛成した。
昼間のその通りは、あの静まり返った夜とはまた違った印象になっていた。談笑する婦人たちや、露店を眺める老紳士などが見られ、むしろ賑やかですらある。吸血鬼事件は夜中にしか起きていないため、人々もこの時間帯は安心して生活しているようだ。
あまり目立たないように配慮しつつ、並んで通りを行き来しながら、手がかりを探すことにする2人。
「しかし、こんなところで吸血鬼と戦ったんだな…… どうにも現実味がない」
「そもそも吸血鬼などという存在自体、現実味がないものですから。それを狩る使命を持つ私も、さらに現実味がない存在と言えてしまいますね」
もっともらしいことを言って、少しだけ口の端を持ち上げるロゼ。
……今のは冗談だったのだろうか? どう反応していいかわからず、無言になるアルフォンス。そんな思いを知ってか知らずか、ロゼは気にせず昨晩のことを検証し始める。
「あの吸血鬼がまとっていた匂いは、今までの被害者から感じた匂いと同じものでした。やはりあれが帝都で起きている『吸血鬼事件』の犯人と考えて間違いないでしょう」
「匂い……か」
そういえば、追跡していたときにそんなことを言っていたなとアルフォンスは思い出す。
「なら、それを辿っていけば吸血鬼の正体に辿りつけるわけだな」
「いえ、前にも申し上げましたが吸血鬼が力を発揮するのは夜です。日が出ているうちは彼らも力を発揮できませんが、匂いも消えてしまいますね」
できれば力を発揮できないうちに叩くのが理想だが、正体に繋がる手がかりは今のところない。ここに来て『吸血鬼狩り』の難しさを再認識し、アルフォンスは思わず唸ってしまう。
「ですが、昨晩接触することができたのは大きな進歩です。激しい戦いが行われれば、何かしら手がかりが残されている可能性は高いはず。もしかしたら、あの方も何かを目撃していたかも――」
あの方――ルッカのことだろうか。そう考えたあと、ぴたりと立ち止まるアルフォンス。並んで歩いていたロゼがついてきていない。振り向くと、彼女も立ち止まっていた。その顔は、いつもの無表情ではあったが、少し俯いてなにかを悔いているようにも見える。
「どうした?」
「――いえ、なんでもありません。とにかく、手がかりを探しましょう」
それから2人はしばらくの間、その通りを調べた。ロゼの提案で一旦、二手に分かれて別々の場所を調べ、再度合流して考えをまとめてみたが、先日と同様、吸血鬼の正体に繋がる手がかりを得るには至らなかった。
日も落ち始めており、レンガの街並みに夕焼けが合わさって濃い赤色になっている。
「これだけ調べて収穫なし、か。……くそ」
吸血鬼は徐々に力をつけてきている。ロゼと吸血鬼の実力は、今のところ拮抗している。昨晩はなんとかルッカを救い出せたが、今後被害者が増えていけば、太刀打ちできなくなるほどに強くなってしまう可能性もあるだろう。急がなくてはならないのに、と舌打ちするアルフォンスを、無表情で見ているロゼ。
「焦っても仕方がありません。今は互いにやるべきことをやりましょう」
そうだな、と苦々しくうなずくアルフォンス。本日の調査結果を報告しなくてはならないので、ロゼとは一旦ここで別れることになった。
そして、昨日と同じく酒場で合流しようと提案したが――ロゼは、それを断った。
「今日は私も教会の方に用があるのです」
「そうか……できれば気配を探れる君と、また張っておきたかったんだが」
昨日の今日だし、今のところ事件は毎夜のように起こっているのだから、警戒は必要だ。ロゼもそれは分かっているらしく
「こちらの方で気をつけておきますから」と告げ、
「では、明日またお会いしましょう。さようなら」
と深くお辞儀すると、そのまま立ち去ってしまうのだった。
「……なんだ……?」
アルフォンスは彼女の態度に妙な違和感を感じていた。だが、その正体は結局分からず、ただ彼女の後姿を見送るしかないのだった。
◇
夜――ガラードへの報告を終えたアルフォンスは、酒場に向かっていた。ロゼとの合流の約束はなくなってはいたが、昨日吸血鬼に襲われたばかりのルッカの様子を見に行っておきたかったのだ。
「あ、アルくんっ。いらっしゃいませ」
店に入った彼にいち早く気づいたルッカは、空いたカウンター席にアルフォンスを案内する。
昨夜の勘定をしていなかった食事代をマスターに渡していると、ルッカがいそいそと注文をとりに来る。思いのほか元気そうな彼女の様子に、ひとまず安心するアルフォンス。
彼女の命が、食事などという名目で軽々しく奪われようとしていたのだ。そう考えると、怒りがこみ上げてくるアルフォンス。
「ええと、アルくん? ど、どうしたのかな」
おずおずとかけられた声に、アルフォンスは自分が深刻な表情をしていたことに気づくと、誤魔化すように出された料理を口へ運ぶ。そうして心を落ち着けて、安心させるように笑みを向ける。
「すまない……。なんでもないんだ。それより昨日の夜のことで、何か思い出したことはないか?」
「うぅん……ごめんね。わたしも思い出そうとしてはいるんだけど」
念の為聞いてみたが、やはりだめか。
出くわした吸血鬼の姿がよほどショックで、記憶が混乱しているのだろうとロゼは言っていた。ルッカから吸血鬼の正体を掴むのは難しそうだと考え、ふう、とため息をつくアルフォンス。
その間も、アルフォンスの役に立ちたい、なにか思い出せないかと考えを巡らせていたルッカ。彼女は少し間をおいてから、突然「あっ」と声をあげた。
「あの、昨日じゃなくて今日のことなんだけど…… さっき、あの人がお店に来てたよ、一人で」
「……あの人?」
「ほら、アルくんと一緒にいた、あの」
まさか――ロゼ? 彼女は店には来ないと言っていたはずではなかったか。教会の方に用事があるから、と。何か、胸にざわめくものを感じるアルフォンス。
「ええとね、なんだか色々、昨日のことを聞かれて。結局その時も何も思い出せなかったんだけど…… 何だか納得したみたいでね。そのまま『さようなら』って、すぐに帰っちゃって」
――『さようなら』。
その言葉を聞いて、ハッと目を見開くアルフォンス。ロゼとは何度か別れの挨拶を交わしたが、今までは『ではまた』という言葉で締められていた。しかし今日、あの通りで別れた彼女も『さようなら』と言っていたのだ。アルフォンスはそのことに違和感を感じたのだと気づく。
そして彼女は一人でこの店に来て、ルッカから何かを掴んだ。吸血鬼を狩る使命を持つ彼女は、次に何をしようとする?
アルフォンスは、皿に乗った料理を半分以上残し、勘定のミラを乱暴に置く。
「ア、アルくんっ!?」
「釣りはとっておいてくれ!」
昨日に続いて、2度目の『いやな予感』――
アルフォンスは全速力で店を飛び出し、日の落ちかけた街へ走り出た。