赤い月のロゼ 第11回 地下墓所の決闘
ロゼは、エルロイの振り向く一動作から冷静に分析した。先ほどの戦闘で与えたダメージは全て修復されていることを。それどころか、比べ物にならないほどにその力を増していることを。
地下道にいた数十体もの屍人を生み出す過程で取り込まれた血液の量――それを想像すれば、当然の結果だった。さらに恐ろしい怪物となった彼がどれだけの力を有しているのか、今やロゼにも計りかねていた。
「エルロイ――ルッカをどこにやった!?」アルフォンスが叫ぶ。
「さて、どこだろうな……力ずくで聞き出してみるがいい」
エルロイはつまらなそうにそう言うと、おもむろに黒き外套から腕を伸ばす。そして、天に向けて掌を掲げる。
エルロイの指先から、地下墓所全体を覆うような圧倒的な力の波が迸る。そして、すぐにそれは治まった。
「なんだ……?」意味不明の事態に警戒するアルフォンス。
「いけない!」ロゼは直後の出来事を直感し、すぐさま戦闘態勢をとった。
ぼごっ。何か、底が抜けたような鈍い音が響く。十字架が置かれた場所の地面から、白っぽいものが生えていた。
――人間の手の骨だ。アルフォンスがそう気づいた瞬間、彼とロゼを取り囲むように立っていた他の墓からも、連続してそれが生えてきた。ひじの部分で折れ曲がったそれは地面をぐいぐい押しはじめ、続けて土の下で蠢いていたその身体が土埃を上げながら一斉に姿を現す。
それは、過去にここに埋葬された亡骸だった。
死者の屍を揺り起こし、下僕として操る術――
これも“高位の吸血鬼”のみが使える高等な術だ。
骸骨たちは各々が盾や兜、斧や剣を統一性なく装着している。おそらく、この地下道にいくつか存在するであろう墓地の中でも戦で命を落としたものたちばかりが埋葬された場所だったらしい。取り囲まれ、ロゼと背中合わせになって剣を構えるアルフォンス。
「ハハハハハハ、なんと素晴らしい力だ! ハハハハハハハ!」
恍惚とした表情で高笑いを上げるエルロイ。骸骨たちは今のところ、微動だにしていない。植えつけられた本能に従う屍人とは違い、吸血鬼の意のままに動く正真正銘の人形だ。
「やれ」という合図とともに、骸骨たちが一斉にアルフォンスたちへ押し寄せた。全方位から各々の武器が振りかぶられる。どう考えても防御できる物量ではなかった。
寸前、ロゼは背中越しにアルフォンスの肩を叩いた。彼はすぐにその意味を理解して、武器が振り下ろされようとする中、素早くしゃがんだ。
入れ替わりに飛び上がったロゼの身体は、上半身が大きく捻られている。そのまま体の左側に回していた右腕を、捻った上半身が戻る勢いのまま振りぬく。
彼女が握り締めているのは、投信の消失した法剣(テンプルソード)の柄だ。
一瞬あと、ロゼたちを中心として時計回りに、延びきった刀身が飛ぶ。それぞれ隊列の一番前で武器を構えていた骸骨たちの頭が次々と砕け、その後ろにいた骸骨まで巻き込んで吹き飛ぶ。
生まれた一瞬の隙をついて、しゃがんでいたアルフォンスが駆け出す。一直線に、白骨の海の向こうに立つ吸血鬼、エルロイのもとへと。
立ちはだかる骸骨だけを白銀の剣で斬りつけ、殴って蹴って、投げ飛ばす。鍛えた肉体に任せた強引な進撃だったが、着実にエルロイへと近づいていく。
残ったロゼは敵を自分に引き付けつつ、法剣と銃を器用に使い分けて戦う。時折できた一瞬の隙間を縫って、エルロイの死角にいる敵を重点的に倒していった。
「どうしてだ、エルロイ! なぜお前は、こんなことになってしまった!?」
骸骨を砕いて進みながら、アルフォンスは胸を絞めつけられる思いでいた。
数年前、帝国軍に入ったばかりの頃のことが思い出される――。
――エルロイは、もともと貧しい暮らしをしていた孤児だった。そんな中、ガラードによって剣の腕を見出されて帝国軍にスカウトされたのだという。
かつて両親を殺されたアルフォンスと、孤児であり家族を知らないエルロイは、ある意味似た境遇を抱えていたと言える。互いにガラード隊長によって、そこから救われたという所も同じだった。
2人は互いにシンパシーを感じ、軍では良き好敵手として互いを高めあう関係になった。
それはいつしか理由も分からないまま険悪なものになってしまったが、アルフォンスにとってガラード隊随一の剣の腕を持つエルロイは、今でも尊敬すべき相手だった。さんざん嫌味を言われ、理不尽に冷たい目を向けられても、彼にとっては間違いなく友人だった。
彼には今でも信じることができない。
エルロイが、吸血鬼だったなどと。
何の罪もない人の命を非情に奪い、糧とした挙句に弄んだなど。
目の前に立ちはだかった最後の骸骨を強引に退け、ついにエルロイへの道が通じる。
「おおおおおおおっ!!」
アルフォンスは駆けながら、白銀の剣を振りかぶる。
それを見て、薄笑いを浮かべたまますらりと剣を抜くエルロイ。その夜何合目かの、剣と剣がぶつかりあう金属音が響き渡った。
「俺は、絶対に止めるぞ……お前の友として!」
「……笑わせるな!」
アルフォンスの剣を片手で受け止めていたエルロイ。凄まじい膂力のままに剣を返し、アルフォンスの腕は後方に弾かれる。
だが彼はその勢いを利用し、一回転して更なる横薙ぎを加える。
エルロイはそれを、素手の指先で受け止める。
銀の刀身に触れた指が焼け付いて煙を上げるが、エルロイは歯牙にもかけていない。それどころか更に力を込めると、刀身に小さくヒビが入り始める。
その表情は、今までの勝利を確信した余裕の笑みではない――憎悪の形相だ。
「何が友だ! お前は俺の、大切なものを奪おうとしたくせに!」
「!?」 その言葉に虚を疲れたアルフォンスは、エルロイのもう片方の腕から振り下ろされた剣への反応が遅れてしまう。
左の肩口から腹部にかけてを引き裂かれ、血が噴出る。
「ぐあっ……!」「――アル!!」ロゼの声が響く。
すでに、アルフォンスが作ったエルロイへの道は無数の骸骨たちに塞がれている。
彼女が骸骨を引き付けて戦う以上、とても援護に来れる余裕はなさそうだった。大丈夫だ、傷は浅い――そう示すように、アルフォンスは機敏に身をよじって、後方に間合いを取る。そうして、剣の感触を確かめるように構えなおす。
「くっ……何のことだ!? 俺が、何をした!!」
「黙れ! もはやお前には贖罪の暇(いとま)すら与えん!!」
間髪いれずに、剣の連撃を加えてくるエルロイ。
アルフォンスも応戦するが、先ほど受けた傷もあって完全には捌ききれない。横腹に、太ももに、右腕に、全身に、確かなダメージを受けていく。
流れる血にふらつきつつも、なおも剣を構えるアルフォンス。もはや体力もほとんど尽きている。彼を支えるのは、気力だけだ。
猛攻を加えていたエルロイも息が上がっていた。その口元に再び、勝利の笑みが浮かぶ。
「安心しろ、寂しくはない。吸血鬼狩りの女も、あの酒場の娘も、すぐに同じ所に送ってやる」
ピクリと体を震わせるアルフォンス。満身創痍となりながらも、強い意志を湛えた瞳でエルロイを見据える。
「……エルロイ、お前が俺にどんな恨みを持っているかは分からない。だが……殺されてやるわけにはいかない。約束したからな」
「何を言っている……?」エルロイの顔から再び笑みが消える。
「エルロイ、やれるものならやってみろ。俺は覚悟をすでに決めている。死なないという覚悟を。そして、お前を必ず止めるという覚悟を――!」
「訳のわからないことを……!!」
エルロイは激昂し、両手で剣を構えた。そこに禍々しい気迫が渦巻いている。今までで最大の一撃が放たれることを、アルフォンスは悟った。
「今度こそ終わりだ!!」
絶大なる膂力に任せて剣が振り下ろされる。向かってくる絶対的な死――アルフォンスは、それを防がなかった。銀の剣を前に構えたそのままの姿勢で、真正面から受けたのだ。
さきほどと同様に、左の肩口から深く侵入していく刃。それは鍛えられた筋肉を骨もろとも、チーズのように切り裂いていく――はずだった。
「なっ――!?」
エルロイが見ていたのはありえない光景だった。
彼の渾身の力を込めた刃は、左肩の鎖骨両断したところで完全に制止していたのだ。
アルフォンスは防御を捨てたわけではなかった。攻撃をその身に受ける覚悟を決めたことで、極限まで集中力を高めたのだ。そして己の肉体に刃が侵入した瞬間に、急激に筋肉を硬直させ――刃を止めた。
およそありえない、思い浮かべていた勝利の光景とあまりに食い違うそれは、エルロイを激しく動揺させた。アルフォンスはその隙を見逃さなかった。
「おおおおおおおおっ!」
激痛をものともせずに刺突の構えをとる。エルロイは左肩に食い込ませた剣の柄を振りほどかれ、完全なる無防備になる。
そして――銀の剣の切っ先が、真っ直ぐに――エルロイの胸を貫いた。
――乾いた音とともに、ロゼと対峙していた骸骨が崩れ落ちる。縦横無尽に骸骨との戦闘を繰り広げていた彼女が動きを止めた。
状況を即座に理解してアルフォンスの方を振り向くロゼ。
そこには、胸に突きたてられた剣が今まさに引き抜かれ、その場に膝から崩れ落ちていく吸血鬼の姿があった。
アルフォンスが左肩に刺さったままの剣を引き抜くと、血が一気に噴出る。左肩を手で抑えるが、傷口は深すぎた。なおも血は止め処なく流れ続けた。
「無理、しすぎたか……」
「本当ですよ、まったく」
呆れたような声とともに、傷口を温かい感覚が包んでいくのを感じる。駆けつけたロゼが法術によって怪我の回復を行っているのだった。
「こんなことをしていては命がいくつあっても足りません。本当に愚かです。そこに莫迦と阿呆を足しても釣りがきます」
言葉とは裏腹に、ロゼの顔は安堵に満ちている。流石に心配をかけすぎたらしい。アルフォンスはそれを反省しつつ、みるみる塞がっていく傷を眺めていた。体力まで戻すことはできなかったが、ひとまずの応急処置にはなっただろう。
「……ぅぁ……」そこに――小さく呻くような声が聞こえてくる。
胸を貫かれて倒れたエルロイは、虚ろな目をしながら天井を見ていた。皮膚にはヒビがはいり、表面がボロボロに崩れ始めている。
ぶつぶつと何かを呟いているが、声が小さすぎて聞き取れない。
ロゼはおもむろに銀の大型拳銃を取り出すと、エルロイの頭に照準を合わせた。
「お、おい……?」
「このまま放っておいても滅びます。でも、放っておくわけにはいきません」
刹那の刻(とき)も許さない。非情な判断だが、それが吸血鬼を狩るということだ。アルフォンスも頭では理解していたが、どこか納得の行かない顔をする。
エルロイには色々と聞きたいことがあった。彼は出会った時から吸血鬼だったのか。なぜ今になってこんな事件を起こしたのか。なぜ――自分を恨んでいたのか。
だが、吸血鬼である彼の存在は危険すぎた。もはや、この世に存在してはいけない。それは十分に分かっていた。だから、アルフォンスは口出ししなかった。
しかし、ロゼはいつまで経っても引き金を引かなかった。
「……おかしい」
「どうした」
「おかしいんです」
「だから何が」
「一切感じないんです――匂いを」
「何の」
「“高位の吸血鬼(エルダーヴァンパイア)”の匂いです」
冷静な彼女が、明らかに動揺している。瞳孔を開き、体を小刻みに震わせている。エルロイに“高位の吸血鬼”としての匂いを感じない。それがどういう意味を持つか。なら彼女は、誰の匂いを追ってここまで辿り着いたというのか――。
「今まで私は……大きな勘違いをしていたのかもしれません」
「どういうことだ?」
「もしかすると、“高位の吸血鬼”は――」
――別に、いるのかもしれません。
刹那。漆黒の暗闇から、何かが途轍もない速さで放たれた。どす黒く濁った液体――血によって形成された、2本の直線。それが向かってくる。
いち早くそれを察知したロゼは、咄嗟にアルフォンスを突き飛ばした。
そして、槍のごとき先端を持つそれは、彼女の腹部を容赦なく貫く。
どう、と地面に尻餅をつくアルフォンス。ついさっきまで、目の前で話をしていたロゼは血の海の中に倒れていた。彼女はピクリとも動かない。微動だにしていない。……なんだこれは?
一切の状況が把握できず、彼は立ち上がることすらできなくなっていた。
「いや、まさかだな。2人まとめて楽に終わらせてやるつもりだったが」
槍が飛び出てきた暗闇。その中から現れたのは、アルフォンスにとって最も親しく、馴染み深い、軍服の男――。
「おかげで死に損ねたな、アル?」
「……おじ、さん……?」
そして、決して信じたくはない人物だった。