徒然雑記帳

ゲームプレイを中心に綴っていくだけのブログ。他、ゲーム内資料保管庫としてほいほい投げます。極稀に考察とかする…かな?お気軽に読んでいってください。

カーネリア

 今日はカーネリアを。閃の軌跡にて「元ネタ」のトビーことトヴァルと、作者のミヒュトが出てきた訳ですが、他の書籍の人物もその内出るんですかねぇ。

カーネリア
第1回 
《帝 国 時 報》《インペリアル・クロニクル》・Ⅰ

 僕は回転ドアの前に立ち、長靴のかかとをこつこつと鳴らした。コートの襟をひっぱり、あごを引いて、湾曲したガラスに映る自分の姿を眺める。短く切り揃えた頭髪に、どこにでもあるような革のコート、同じく革製のブーツは実のところ鉄板で補強された特注品だけれど、見た目では分からない。
 ごくごく平凡な見た目――今も昔も、僕の仕事ではそれが重要だった。
 スズ色に照らし出された朝もやの中からは、大路を行き交う人々の靴音が、まるで振り子仕掛けのように規則的に響いてくる。時折、物売りの声に流れを断ち切られるが、それはすぐさま再開される。
 帝都にやってくる朝はいつだって灰色だ。僕は売り子の脇から雑誌をかっさらい、後ろ手にミラを投げてやる。インクのにじみまで見慣れた《帝国時報》誌。手荒く表紙を開き、灰色の誌面の上に目を走らせる。

ふと、息が止まった。
 社会面の一番下で、その文字を見つけた。僕の目は一瞬で吸い寄せられ、それきり動かなくなった。

 「アイン・セルナート」――文字が意味を失い、ただのインクのしみとなるまで、同じ行を繰り返し僕は眺めた。数秒の空白の後、ようやく視線は記事の先へと流れていった。読み進むうち、記憶が過去のある一点に向かって、ゆっくり逆回しに流れ始めた。僕が初めてこの名を聞いた、3年前の数日間の出来事に向かって――
 
 3年前のその日の午後も、今日と変わらず帝都は灰色だったはずだ。今より少し若かった22歳の僕は、いつも通りブティックのドアで身だしなみを確かめると、足取りも軽く《ミヒュト帝国工房》へと向かっていた。店主のミヒュトから、新しい仕事をもらえる手はずになっていたからだ。
 ミヒュトは小さな工房を営む冴えない中年男で、導力器いじりが趣味だった僕は、やつの店の数少ない常連だった。
 じめじめした路地を抜け、腐りかけた木戸をくぐると、半分地下に潜り込んでいる工房の入口に、ぼんやり導力灯が光って見える。
 ミヒュトが僕に「仕事」をくれるようになったのは《百日戦役》で世間がごたごたしていた頃だ。当時リベール王国と帝国の関係は最悪で、導力器の輸入はほとんどストップしている状態だった。素性の怪しいやつらと組んで密輸を企てたミヒュトは、僕にその片棒を担がせた。運び屋の役をくれたのだ。
 平民出のコネもない10代のガキだった僕は、当然その話に飛びついた。王国との関係が正常化した後には、もうほとんど盗品専門の運び屋みたいになっていたけど、足を洗う気はさらさらなかった。まともにミラを稼げる仕事なんて、他にはなかったからだ。
 垢抜けない、人目につかない格好をした僕は、帽子やパンツの中に品物を隠し、国境を往復し続けた。おかげで僕の財布はどんどん重くなっていったが、用心のため定期的に偽名を変えたせいで、2、3年の内には名前までずいぶん貯まってしまった。僕はお調子者
のフィルであり、早業のルーニーであり、そして同時に臆病者のクリスでもあった。だけれどミヒュトのやつはいつだって僕を「トビー」と呼んだ。それは僕らが最初に仕事をしたときに使った偽名で、僕が1番気に入っていた名前でもあった。


第2回 駆動

「よう、トビー。いい時に来たな」
僕にそう声をかけると、ミヒュトはカウンターの中でもぞもぞと身じろぎした。食べていた焼き菓子を膝の上に置き、粉砂糖まみれの両手をぱんぱんと叩く。薄暗い店内に、甘い香料と焼きリンゴの匂いが広がった。
「ちょうど今、商品が届いたとこさ」
 ミヒュトは上半身をひねって、背後の戸棚から古雑誌の紙に包まれたものを取り出してよこす。
「今回はなんだい?」
無駄と知りつつ僕はたずねる。
「相手先は王国のいつもの場所だ」
ミヒュトは質問を無視して、鉄道と飛行船のチケットを並べる。
「余計な心配はしなくていいぞ、トビー。いつもの通り、賢いお前でいて欲しいよ」
 深いため息をつくと、ミヒュトは指の腹でぐいぐいと目の下のクマをもんだ。その手がまた焼き菓子に伸びる。やつがそれを口に運ぶ前に、もう僕は店から出ている。
 
バッグの中で古紙の包みがころころと弾んでいた。わき腹にその運動を感じながら、たぶんこれも盗品なのだろうと、僕は品物の正体に見当をつけていた。
 別に不安はなかった。正体不明の品物を運ぶことは慣れっこだったし、これまでどんなトラブルがあってもうまく切り抜けてきた。実際、仕事での経験のかいもあって、僕の導力魔法の知識と腕前は相当なものだった。だから駅でそれらしい連中を見かけたときも、必要以上に神経質になることはなかった。
 ホームは王国方面への列車を待つ乗客でごった返していた。ベンチは一杯で、仕方なく僕は入口近くに立って待つことにした。バッグを持ち換えようと体をねじったとき、2人の男の姿が目に入った。そいつらは改札の前、ちょうど床に帝国国章の馬頭をあしらったタイル細工のある辺りで、何か話し込んでいた。すぐにもう1人やってきて、話に加わる。僕の目から見ると、連中のかっこうは及第点とは言えなかった。並外れて体格が良く、同じような髪型をしたその3人は、人ごみの中にいても良く目立った。
連中から視線をそらすと、僕はバッグを抱え直し、ポケットの中の導力器へ指先を這わせた。列車の到着を知らせる女の声が辺りに流れる。低い導力機関のうなりが遠くに感じられ、やがて肩の上にのしかかってきた。
「大丈夫さ」
小さく呟いたが、僕にその声は聞こえなかった。ブレーキ音をわんわんと響かせ、黒光りする鉄のかたまりが線路に滑り込んでくる。導力機関が目一杯に逆推進をかけるのが、空気の振動で分かる。待合室から溢れ出た人々に押されるように、僕も客車の扉へと流されていった。車掌の横を通り過ぎるとき、一瞬だけ改札の方が目に入った。さっきの男たちはもういなかった。タイルで作られた馬の横顔だけが、真っ赤になって僕をにらんでいた。


第3回 シスター

列車は霧の中を飛ぶように走っていた。窓ガラスに吹き寄せられた水滴が透明なすじになって、いつまでも同じところで身をくねらせ続けている。
車窓に額をくっつけたまま、指で2枚のチケットをこすり合わせた。帝都から鉄道ではるか南部の国境の都市へ、王国に行くにはそこから飛行船に乗り換えることになる。券はどちらも1等旅客の指定だ。客車はほぼ満席だったが、僕の隣には誰も座らなかった。もしかしたらミヒュトのやつがわざわざ空けたのかも知れない。だとすれば、今度の仕事はやつにとってもよほど割りが良いに違いない。
「王国へ行かれるんですか?」
 鉄路の旅も半ばを過ぎた頃、突然声をかけられて僕は顔を上げた。通路に1人のご婦人が立っていた。
 3重のバックルでコートの胸元を留めたその女は、30代の半ばくらいに見えた。わずかに肩にかかるほどの薄茶色の髪に、同じく茶色の瞳。よろしいですかと膝を折って僕の隣の空席を指し、「あちらは煙草の煙がひどくて」そう呟きながら、紫色の空気が漂う後ろの方へと視線を泳がせる。
僕は黙ってうなずき、足元のバッグを窓側に引き寄せた。女は礼を言い、隣の席に腰を下ろした。
 彼女はしきりに話しかけてきた。僕は導力器関係の仕事で王国に向かう途中だということにして、適当に話を合わせた。彼女の方は教会の慈善運動とかで、国境の都市に用事があるとのことだった。
「一応、シスターって呼ばれているんですよ」
黒い革のブーツに包まれた足を組みかえると、女は喉の奥で笑い、「あだ名ですけどね」と続けた。「シスター・カーネリア」それが彼女のあだ名だった。
そのまま僕とシスター・カーネリアはしばらく世間話を続けた。陽は西に傾き始め、木立を抜けるたび、オレンジ色の光が客席の上をなめていった。西日を浴びて彼女の茶けた瞳は赤い耀きを放ち、僕は紅耀石に通じるそのあだ名の由来を想像した。
やがて列車はゆるやかに速度を落とし始め、荷物を取りに彼女は席へ戻った。僕はもう習慣になった動作でバッグと魔法用の導力器を調べたが、反故紙の包みも、編み鎖で腰に留めてある導力器も、どっちも無事だった。
定刻通りの到着を告げる女性の声が車内に流れた。
到着地の天候は雨。座席の間からいくつかのため息がもれた。ぼつぼつと窓に雨粒が弾け、青黒い町の影が見る間に迫ってくる。駅の信号灯が、水滴に散乱して角ばった光を放っていた。背筋の寒くなる金属音、そして導力機関の推力が反転する衝撃。
手荷物への注意を呼びかけるアナウンスが入って、乗客がばらばらと通路に立つ。雨の中で手旗を振る駅員の制服を見ながら、僕もバッグを抱えて立ち上がった。
 通路でシスター・カーネリアと行き合った。1歩引こうとしたとき、突然彼女がつまずいたようにこちらに倒れかかってきた。僕の肩につかまって体を起こすと、彼女は照れ笑いを浮かべて道をゆずってくれた。会釈をして先に通路へ出る僕。その後からカーネリアがほとんど間を置かず、ぴったりとついてきた。嫌な感じがした。右手が勝手に導力器を求めてポケットへ滑り込む。だが、いつもの真鍮の手触りは、そこになかった。
 とたんに、強烈な力が僕の手首をねじ上げた。バチンと勢い良く金属の飛び出る音。僕の背中、ちょうど腎臓のあたりに、尖ったものが押し付けられる。
「探し物なら預かってるわよ、トビー」
 シスター・カーネリアの唇が、僕の耳の裏側でかすかに動いた。
「動いたり騒いだりしないでね、トビー。
 これ以上、痛い目に遭いたくないでしょう?」
 シスターは手首を押さえる角度をわずかに変化させた。僕の瞳の奥で、色のない火花が散った。


第4回 肉の弾

シスター・カーネリアは僕の右手全体に激痛を与えたまま、やさしく語りかけてきた。
「大人しくしていてくれるわよね、トビー」
 僕は涙目どころか本気で涙を流しながら首を縦に振った。瞬間、手首の角度はゆるまって、痛みは幻のように溶けて消えた。
「誤解しないでね、トビー。
 私は女神に遣わされたあなたの守護者なの」
 彼女はそう耳元にささやきながら、僕に窓の外を見るように指示した。「トビー」という彼女の呼びかけの「ビー」の部分が、やけにくすぐったい。
 乗客の列はゆっくりと車外に向け流れ出した。カーネリアに押されるようにじりじりと前へ進みながら、車窓からホームを眺めた。正面改札へと続く階段の下に、あいつらの姿があった。帝都の駅でも見送りに来てくれた、あの3人組だ。
「手厚く歓迎してくれるみたいよ」
彼女の喉元からくぐもった笑いが響く。
「導力器を返してくれ」首をひねって僕は訴えた。カーネリアは答えなかった。左右から乗務員に挨拶されて、鉛色のホームへと出る。畜生、バカどもが。人がこんな目に遭ってるのに、どうして気づかないんだ? 吹きつける霧のような雨に半ば目をつむった僕は、濡れた階段を半歩ずつゆっくりと降りていく。その後ろから同じ歩幅でカーネリア。
出迎えの連中は階段のすぐ下で待ち構えている。このままあの得体の知れない奴らに引き渡されるのだと、僕は思った。3人組の顔が近づくにつれ、バッグを握る左手に熱がこもってくる。
 階段のちょうど中間で、突然カーネリアが言った。
「トビー、足元を見て」
言われるまま僕は、雨水のしみたブーツのつま先へ視線を落とした。そして息を吐いた瞬間、カーネリアに思い切り突き飛ばされた。爪先から振り出た水滴の向こう、天地が入れ替わるのが見え、僕の体は階段下の連中に背中から降り注いだ。
 みしりと肋骨が潰れ、また復元される感触。軍人風の連中2人の間に雪崩れ込み、彼らを押し倒した勢いのまま水溜りへと突入する。乗客たちの悲鳴が鉄道のブレーキ音みたいだ。ぐるぐる渦を巻く世界の中で、冷たいタイル地を背中に感じたまま、僕は左手の方へと眼球を転がす。5本の指はしっかりバッグをつかんだままだった。
 体を起こそうとして滑り、僕はあごから潰れてうつ伏せになった。懸命に左右を見回したが、軍人風の男たちの姿は見えない。シスター・カーネリアの姿だけが、頭上のホームに見えた。まるで穀物袋でも担ぐみたいに、肩の上に男を乗せている。彼女は列車の方を向くなり、そいつを線路下へと投げ込んだ。僕はようやく立ち膝をつく。世界はまだ波打っていた。シスターのブーツが近づき、僕の手を引く。握ったときの違和感に、僕はまだ気づかない。
「行くわよ、トビー」
 引きずられるようにして立ち上がり、やがて僕らは駆け出す。野次馬が音を立てて道を開けた。左腕の先でバッグが頼りなくゆれ、ひたひたとふとももを叩いた。改札を抜けるとき、ようやくシスターが手を放してくれる。ばりっと何か剥がれる。僕はシスターの両手が、紅く返り血に染まっていることに気づく。走りながらホームの方を振り返った。僕を迎えに来た3人の姿は、もうどこにもなかった。


第5回 安息の使者

 冷めたパンケーキの上にたたずむバターを、僕はじっと眺めていた。フォークを取り上げて、突っつき、裏返し、なすりつける。そうしているうちに、ますます皿の上の物への興味が失せてくる。僕の頭上でランプがじじっと音を立て、蜂蜜色の光をゆらめかせた。
 雨はやみそうにない。ガラス窓を流れる水膜の裏に顔を寄せ、すっかり薄暗くなった通りの様子を窺う。駅舎は道の突き当たりにあるはずだが、僕らのいる宿酒場からはちょうど建物の影になって、ホームの方は見えなかった。
「心配しないでいいわよ」
 真っ白いハンカチで手を拭いながら、シスター・カーネリアが戻ってくる。
「当分、追っ手は来ないわ」
彼女は四角い布切れを押し広げ、ナプキンみたいに膝に広げた。その指先の動きを見ていると、粘つく血の匂いが顔の前によみがえ
ってくる。
「なんで分かるのさ」
「そういう仕組みになってるのよ」
 給仕がきて、シスターの前に音を立てて皿を置いていく。焼いた1枚肉の盛られた磁器を、手元に引き寄せるシスター。指先についたソースにちゅっと吸いつく。僕はフォークを放り出し、深く椅子にもたれた。窓の外で町は青く陰り始め、シスター・カーネリアが
ステーキを胃袋にしまい込む頃には、もうすっかり夜闇の中へ沈み込んでいた。
「追っ手が来ないって、なぜ分かる?」
再び僕はたずねた。カーネリアは黒いパンで皿を拭いながら、
「連中の仕組みなのよ。1単位3人――」
と答え、それから思い出したように付け加えた。
「連中っていうのは、《猟兵団》のことよ」
 僕は発着場で見た男たちの姿を思い浮かべた。《猟兵団》とは一部の傭兵団に与えられた尊称だと、昔ミヒュトが教えてくれたことがある。連中はミラに従って動き、ミラの流れるところ誰の手足にでもなるそうだ。
「戦争屋、国境は関係ない、関わり合いになるな」
ミヒュトのやつは口癖のように言っていた。僕は無意識にバッグの位置を足先で確かめる。
「話は簡単なの」
シスターはデザートに手を伸ばす。
「トビー、あんたはやばい物を運んでる。で、誰かが
 《猟兵団》を使ってあんたを消そうとしてる」
「やつらの狙いは僕じゃない。荷物さ」
「同じことよ」
カーネリアはお茶を一息に飲み干す。
「バッグを調べる前に持ち主を殺すわ。
 ステーキを焼く前には牛を殺すでしょ」
 言いながら、彼女は獣脂の光るナイフでリンゴのパイを切り開く。黄金色の照明の中に粉砂糖が踊った。僕の胃の上に刺すような痛みが走る。ミヒュトのやつは今どうしているだろうかと、不意にそうに思ったとき、視線の先でシスターの手が止まった。
 猟犬のような面持ちで闇をにらむと、彼女は何か輝くものをテーブルの上に投げ出し、おもむろに立ち上がった。それは僕の導力器だった。
「どこに行くの?」
問いには答えず、シスター・カーネリアは手早くコートのバックルを留めた。
「あんたいい趣味してるわ、トビー」
片方ずつ椅子にかかとを乗せ、ブーツの紐をしめる。
「その導力器を駆動できるなら大したものよ。
 遊撃士になっても通用すると思うわ」
「だからどこに行くんだよ」
いらいらしながら僕はたずねた。
「心配いらないわ」と彼女。
「どうせ明日の朝、また会うことになるんだから」
 そう言い残し、シスターは手洗いの入口へ消える。入れ替わるようにして、2人連れの男が店に入って来る。彼らはまっすぐこちらに向かってきて、テーブルの前で立ち止まった。胸に紋章を光らせたそいつは、僕のことを見もしないで言った。
「遊撃士協会だ。食事中悪いが、顔を貸してもらうぞ」
第6回 仕組みの確認

 テーブルの上には、僕の導力器と、空にされたバッグと、あの古紙の包みが並べてある。遊撃士は僕の顔と卓上の小物とを、まるで見比べるように交互に眺めていた。いかつい皮手甲をはめた右手を見せ付けるように、しきりとあごをなでる。
 僕が連行された先は、宿酒場の2階だった。遊撃士は念入りに間取りを確かめ、一番奥の部屋へと僕を通した。どうやら近くに協会の支部はないらしい。
 最初に僕の前に座ったのはやせている方だった。名前を聞いたが、すぐにどっちがクレイでどっちがパヴェルだか忘れてしまった。身体検査が終わった頃に手甲をした方、つまりパヴェルかクレイが戻ってきて、相棒に耳打ちする。結局、シスターは見つからなかっ
たみたいだ。
 彼らの興味は、シスター・カーネリアと《猟兵団》の方に集中していた。カーネリアから列車の中で聞いたことを全部しゃべると、僕は被害者づらして逆に彼女のことをたずねた。真実、僕は被害者だった。
「あの女はセルナート、アイン・セルナート」
やせ型の方が手帳を読み上げた。
「元は《猟兵団》の構成員で、現在の所属と活動内容は不明だ」
「まあ、善良な市民の付き合う相手じゃない」
 もったいぶった調子で手甲の男は言い、古紙の包みに手を伸ばした。こちらの様子を窺いつつ、包みを机の中央に広げる。出てきたのは、粘土のこびりついた金属の塊だった。
「研究機関に運ぶ途中」
と僕はでまかせを言い、居もしない客の住所をつらつらと並べ立てた。遊撃士は残さずメモを取る。
 そしてそのまま、僕は遊撃士たちと同宿することになった。駅での一件の調書を取るため翌日は支部に行くことになったが、僕の方に不満はなかった。どうやって朝まで無事に過ごすか、差し当たってそれが最大の悩みだったからだ。
 
 僕は日の出と共に目を覚ました。平穏な朝の訪れに安堵の吐息をついたときには、もう遊撃士たちの姿はなく、廊下の方から彼らの声だけが聞こえた。
 上着に袖を通すと、右肘が痛んで、あの女のことを思い出す。とたんに言いようのない不安を感じ、身支度もそこそこに僕は導力器の調整を始めた。
 裏蓋を開け、油なめしの鹿革でクオーツをつまみ上げる。別のスロットへ差し込み、軽めの魔法を中心にした構成に変えるまで、5分とかからない。1本ずつネジを元通りにしめ直していくと、ようやく気持ちが落ち着き、僕はまたベッドに転がった。
 そこに宿の使用人らしき背の高い女が、洗面用のお湯を持ってやってきた。湯気の立つたらいをテーブルにどんと置くと、女は黙ってシーツを剥ぎ取りにかかる。ベッドから追い出された僕が、仕方なくたらいの前に向かったとき、開け放たれたドアの向こうを、2
つの影が続けさまに横切った。
「来た」
僕は自分の呟きを耳にした。片手に石鹸を持ったまま、信じられないような冷静さで戸を閉め、鍵を掛け、壁際に立つ。土壁の向こうで、怒号と肉のぶつかる音とがひと時に交錯する。腰の鎖を手繰り、いま調整したばかりの導力器を握り締めた。
 遊撃士は2人、さっき見えた相手も2人。僕を加えれば数では勝つ。ドアの方へ向き直ったとき、どこか遠くで、また僕自身が呟いた。
「2人だって?」
シスターは1単位「3人」だと言っていた。なら、もう1人はどこに――自分の問いに凍りついた僕の首に、何かが巻きつき、あっと思う間もなく後ろに引き倒された。青ざめた視界の隅に、シーツを引き絞る女の血走った目が映った。たらいを持ってきたあの女だった。手の中で導力器を唸らせて、僕は倒れたまま魔法を放つ。圧縮された空気が僕のふとももを切り裂き、女をくの字に折り畳んで窓まで吹き飛ばした。白いリネンと鮮血とが、風の突き抜けた跡に渦を巻いた。


第7回 女神行き

 隙間風のような音を鳴らして、僕は息を吸い込む。導力器を握ったままの手で、首に食い込むシーツをほどいた。横を向くと、口から唾液が溢れた。どん、と背後で何かが動く気配。《猟兵団》の女が、まるでバネ仕掛けの人形みたいに跳ね起きる。腹に1発魔法をお見舞いしたはずなのに、そんなこと気にも留めていないような滑らかな動き。
 思わず後退った僕の肩口で、生木の裂けるような音がする。次の瞬間、千切れたドアと一緒になって、シスター・カーネリアが部屋へ転がり込んで来た。その腕が鞭のようにしなり、すれ違いざま女猟兵の首を払う。くるりと女は宙を舞い、頭から墜落する。踊り子みたいに高く膝を抱え込むシスター。床に伸びた女の喉を、ブーツのかかとで踏み抜く。
 ちらと僕を見て手招きすると、シスターは窓から地上へ身を躍らせる。まるで踏み台から降りるような気安さだ。バッグを手繰り寄せて、彼女の後に続く。待ち構えていたシスターに抱き止められ、朝の通りを駆け出す。僕らの耳に、始発列車の警笛が響いた。シスターが横手から乗車券を差し出す。受け取ろうとして僕は、ずっと握りしめていた石鹸を投げ捨てた。
 
 車内は紳士たちのタバコで煙っていた。刷りたての雑誌の匂いと、咳払い。僕はひどく落ち着かない気分になる。帝都行きの列車に、バッグを抱えたまま乗り込むのは妙な感じがした。
「導力器と同じなのよ」
魔法に裂かれた僕の足を白いハンカチで止血しながら、カーネリアは言った。
「1度駆動し始めたらね、
あとは誰かにぶん殴られるまで、もう止まらないの」
彼女は半分に折った誌面を膝に置き、とんとんと指で突いた。今朝発売されたばかりの《帝国時報》。数行の差し替え記事が、帝都で起きた工房店主の変死を伝えていた。ミヒュトの本当の歳を、僕はこのとき初めて知った。
「間一髪だったわ」
とシスター。雑誌をコートの懐にしまう。
「あの店にもう5分いたら、トビー、
あんたも女神行きになってたとこよ」
「分からない」
僕は首を振った。カウンターの奥で冷たくなったミヒュトの姿と、反故紙に包まれた金属塊とを、僕は同時に思い浮かべた。一体これはなんだろう? 僕らもあんな物のために死ぬのか?
「《アーティファクト》だからよ」
答えるシスターの声を僕は鼻先で笑い飛ばした。
「古代遺物? そんな物、今までだって運んできたさ」
 《アーティファクト》とは古代文明の遺産で、導力器めいた正体不明の機構の総称だ。骨董品として貴族たちの間で人気が高く、僕が密輸してきた盗品の中にも、それらしい代物が結構あった。大抵は今回の品と同じく泥まみれ。退廃趣味以上の価値を、僕は見つけることができなかった。
「違うのよ、トビー。今度のやつは違うの」
 カーネリアは子供にさとすような声で言った。
「あれは、生きてるのよ」
 意味が分からず、僕は彼女の目を見る。
「今でも動くってことよ。どんな力があるのか、
判ってはいないけど」
シスターは言い直す。
「あれが発掘されたのは30年前、帝国領内――」
 シスターの語る金属塊の物語は、貴族たちの暗闘の歴史そのものだった。権力者の交代に合わせ《アーティファクト》も手から手へ。しかしそれは《百日戦役》の直後、行方知れずになってしまったそうだ。
「で、今回ほんと久々に帝都に現れた」
到着時刻の案内が車内に流れ、シスターは足を組みかえる。
「あれを狙ってる奴が《猟兵団》を、そして教会はあたしを派遣した。あんたと《アーティファクト》を連中から保護するためにね」
 僕は足元のバッグを見つめた。列車は静かに、その速力を落とし始めた。


第8回 帝都の腸

 紳士たちの背に隠れるようにして、僕らは座席の間を進んだ。
 膝の横に当たるたび、僕はバッグの存在を強烈に意識してしまう。まるで意図せずに誰かの体に触れてしまったような感じだった。その安っぽい布の手さげの中に、《猟兵団》が血眼になって追いかける古代の遺物が入っている。愚かなミヒュト。これは僕らには過ぎた代物だ。
「降りたら教会に行くの?」
1度固く目をつむると、僕は背後に立つカーネリアへ声をかけた。
「ええ、そのつもりよ」
それとなく視線を車窓に走らせながら彼女は答えた。
「あんたが助かるためには、それ以外の道はないの」
 絶え間なく列車の到着する朝の駅は、乗降客で大変な混みようだ。空は例によって薄曇り。みな上着の襟を立て、冬の干潟で身を寄せ合う水鳥のように、ただじっとホームに立ち尽くしている。
「階段から突き飛ばすのはなしだよ」
「今回はないわよ」
とシスター。
「あんたがもう2人いれば考えるけど」
どうやら出迎えの人数はずいぶん増えているらしい。
「分が悪いわね」
耳元でシスターの声。
「改札から出るのは無理だわ」
 僕らは列を離れると、ホームとは反対側の扉を押し開き、まくら木の上へと飛び降りた。さえぎる物のない線路を、帝都の冷たい風が吹き抜けていった。連結の間をすり抜け、貨車の影に僕らは張り付く。
 貨物ホームでは、作業員たちがコンテナの荷降ろしの最中だった。抜け荷屋にとって、駅舎からの不正な出入りなんて初歩の初歩だ。僕は乗車券を見せつつ、作業員の1人に話しかける。有名人とそのマネージャーというお決まりの筋書き。話の途中でシスターの方を指し示す。艶やかな笑みを浮かべ、姿態をつくる彼女。オペラ歌手だと言ったのに、飲み屋の歌姫みたいだ。それでも作業員は快く僕らを通してくれる。
「やっぱりあんたいい腕してるわ、トビー」
倉庫街を走りながら、シスターは言った。
「本気で他の仕事を考えた方がいいわよ」
「遊撃士になれって言うんだろ?」
どうせ断られるさと僕は笑い飛ばし、逆に彼女に聞き返した。
「シスター、あんたこそ遊撃士になったら?」
 ちょうど街区の切れ目に来て、金網の前で僕らは立ち止まる。
「無茶言わないでよ」
排水溝の蓋をずらしながら、僕の問いかけにシスターは笑う。
支部に入った瞬間に、射ち殺されるわ」
 
 曲がりくねった石のトンネルは、帝都の底にどこまでも続いていた。這い進む僕らの先を、大路の側溝から差す光が、まるで街灯のようにぽつぽつと照らしてくれた。通りを行く人々の靴が鼻先を通り過ぎるが、誰もこちらに気づきはしない。薄い敷石の向こうにある地上世界を、僕はまぶしく見つめた。《猟兵団》、《アーティファクト》、理由もなくやってくる突然の死――今まで考えもしなかったものばかりが、僕の目の前に迫っている。
 永遠に続くかと思われた丸トンネルは、やがて天井の高い、石造りの下水道と合流した。
「ここを通って聖堂のそばまで行くわ」
 シスター・カーネリアは片眉をゆがめ、頭上を指差した。
「上を行くよりはマシなはずよ」
「教会が襲われたらどうする」
僕が聞いたとき、遠くで水の跳ねる音がした。シスターは僕の手をひったくり、泥みたいに濃い闇の奥へと踏み出す。
「心配しないで、トビー」
 彼女は言った。
「教会を支えているのは、
 信仰心だけってわけじゃないのよ」


第9回 カーネリア

 切れかけた導力灯の明滅が、汚水の波面に細い光を走らせていた。その前を、風音を残してシスターが駆け抜ける。足先から彼方の闇へ、斜めに遠ざかっていく彼女の影を追い、僕は息を切らして足を動かし続ける。
 七耀教会の聖堂めざし、僕とシスターは休むことなく苔むした石畳の上を走っていた。鉄道の駅から聖堂まで、地上の街路を行けば3街区ほどの距離だ。水位調整用の水門の先から排水溝を上れば、聖堂前の広場に出られる。
 遠くにまた導力灯の光が見えてくる。シスターは首をこちらに向けて、大きく右手を横に伸ばし、次の角で右折だと教えてくれる。そのまま彼女は、何かに備えるように両肩をぐるぐると回した。シスター・カーネリアには、この先の出来事が見えていたのかも知れない。
 またたく照明の下、カーネリアの体が角の向こうへと消える。1つ、2つ、3つ。続けさまに鈍い衝突音がして、何かが水中に転げ落ちる。角を曲がった僕の目に飛び込んできたのは、奇妙な姿勢で横たわる2人の男で、思わず道の端へと身をかわす。数歩先を行くシスターは、何事もなかったように相変わらずの歩幅で走り続けている。
「カーネリアだ!」
 背後からの怒声に僕は振り向いた。1人の男が、角の死体のそばに這いつくばったまま、血の色をした口を開けて叫んでいた。
「カーネリアがいるぞ!」
 シスターは振り返ろうとしなかった。顔を前に向けると、僕もそれに従った。
 水門までまっすぐに続く水路が、四角い闇となって待ち受けていた。ずいぶんバテて来た僕に、カーネリアは歩調を合わせてくれる。
「連中、かなり本腰を入れてるみたい」
彼女は宙の一点を見据えたまま言った。
「さっきのは、昔の仲間?」
 カーネリアは僕に赤茶色の瞳を向けた。
「遊撃士から聞いたの?」
僕はうなずき、もうそれ以上は聞かなかった。導力灯の明かりの中で動く自分の足の影を見つめながら、ひたすら前へと体を進めた。
「宿屋でやりあった女のこと、覚えてる?」
 不意にシスターが口を開いた。
「あたしが傭兵を辞めたのは、
 あんな風に死にたくなかったからよ」
 僕はカーネリアの横顔を見上げた。
「あんな風に、消えてなくなるんじゃなくて」
そうシスターは繰り返し、
「どうせ死ぬなら何かのために戦って、
生きた証しを立てて、それから死ぬの」
 得体の知れない危うさを感じながら、僕は彼女の横を走り続けた。ふと自分の呼吸の合間に、かすかな水音を聞いた気がして、後ろを振り返った。
「トビー、あんたも気づいた?」
シスターはゆっくり歩をゆるめ、やがて立ち止まる。
「後ろから、連中の後詰めが来てるのよ」
 2つの水路が十字にぶつかる交差点に、僕らはたどり着いた。悪臭を放つ幅の広い水流の向こうに、薄暗く照らされた水門が見える。湿ったレンガの壁に背をつけ、僕はしばらく息を整えた。
「たぶん、待ち伏せされてるわ」
シスターは対岸をにらみ、それから背後へ顔を向けた。
「でも、迂回してる時間はないわね」
2度3度と、彼女は鋭い音を立てて深く呼吸する。僕は汗ばむ手で導力器を手に取り、バッグの持ち手を手首に手繰る。いつものように靴を確かめ、シスターが体を起こす。
 粘りつくような闇色の流れの中へと、僕らは息を止めて一気に駆け込んでいった。







第10回 発動

 対岸めがけ、シスターは黒い水煙を引いて飛ぶように駆けていった。たちまち僕は引き離される。
 水門の方から魔法がひらめき、立て続けに空を切り裂くが、どれもシスターには届かない。水路に沈殿した汚物を吹き飛ばし、僕の体に爆風となって襲いかかってくる。最後の魔法をひと飛びでかわすと、彼女は恐ろしい速度でそのまま岸へと踊り込んだ。
 砂袋の壁を飛び越え、彼女は両腕をしならせる。居並ぶ猟兵たちが地面へと垂直に崩れ落ちる。風車のように縦横に回転するシスターの腕は、常に刃よりも早い。彼女の腕は想像もつかない角度からやってきて、喉を突き、脈を絶ち、去っていく。
 だから僕がようやく石畳を踏んだときには、もう彼女の他に、そこに立っている人影はなかった。
「その先の梯子を登れば聖堂よ」
カーネリアはハンカチを忘れた子供みたいに手を振って返り血を飛ばし、戦いの余韻にきらきら輝く瞳で僕を見た。
「後詰めが来てる。急ぎましょう」
 水を蹴って進む低い足音は、もうはっきりと耳に届くまで近づいてきていた。猟兵たちの死体を踏み越えて、僕らは干上がった水路へと向かった。
 濡れた石に手をついて、半ば口を開けた水門の下を潜る。うなじに水滴が弾けたとき、僕は頭上から響く音に気づき、動きを止めた。それは魔法を駆動する導力器の音だった。
「トビー!」
白い光が視界に満ちる。シスターの声を聞いた気がした。どこからか伸びてきた手に、肩を引っつかまれる。僕の体が後ろへと引きずり出されるのと、魔法が敷石を炸裂させるのとは、ほとんど同時だった。
 轟音に全身を打たれながら、僕は背中から地面に衝突し、もんどり打って腹ばいになる。汚水にむせながら顔を上げると、もうもうと土煙を吐き出す水門が見えた。その中からまるで悪夢のように、両手に白刃を光らせて猟兵たちが湧き出てくる。
 泥の上で僕はもがいた。見る間に傭兵どもの顔は近くなり、地を蹴って飛びかかってくる。とっさに横へ転がって太刀を外し、返しの刃をバッグで受けた。音もなく布が裁ち切られ、古紙の包みが石畳に転げ落ちる。腰の導力器を探すが、指先には鎖がじゃれつくだけだ。
 僕の喉を見つめ、長剣を引き上げる傭兵の男。その後ろに人影が現れる。シスターだった。彼女の手が無造作に動き、長剣だけを残して、男は消し飛ぶ。剣のはずむ甲高い音と共に、シスターは膝をついた。
「ごめんね、トビー」
うつむいた彼女の頬を伝って、
赤い筋がいくつも流れ落ちる。
「あんたも、女神に呼ばれるかも知れないわ」
 彼女はまた立ち上がる。ひるがえすコートはずたずたに裂けている。さっきの魔法だ。僕を逃がすとき、それを浴びたに違いない。泡立つ真紅の血が、彼女の胸元から染み出す。僕は地面に転がる《アーティファクト》を拾い上げた。濡れた紙を剥がし、冷たい金属塊を、自分の導力器と重ねて握る。
 もう《猟兵団》の足音はない。彼らは水門への道を塞ぐように、刀を連ねて立ちふさがっていた。
 シスターが声にならない雄叫びを上げ、僕は導力器を駆動させる。機構をうならせ魔法を放つ瞬間、頬を焼けるように熱い刃がかすめていく。たちまち突き飛ばされ、前のめりに倒れ込む。頭上にシスターの背が見えた。その右腕が力を失って、肩からぶら下る。彼女は少し顔を下に向けると、そのまま滑るように、目の前に崩れ落ちてきた。
 僕はシスターを抱き止め、撃ちかかってきた傭兵を魔法で吹き飛ばす。だが、それで終わりだ。数え切れない剣尖が、僕らをにらんでいた。導力器を駆動させたままの右手を、身を守るように高くかざす。刃が風を切り、僕は目を閉じた。
 真っ暗なまぶたの裏に、果てしなく白い世界が広が
っていった――




最終回 
《帝 国 時 報》《インペリアル・クロニクル》・Ⅱ

 白い世界に飲み込まれた僕は、固い地面の上へと吐
き出され、転げ落ちた。
 陽の匂いのする温かな大地。天国の床は、まるで敷石のような手触りだ。手で周囲を探ると、ごわついた髪の毛が触れた。シスターも僕と一緒に「女神行き」になったらしい。腹の底から熱いものがこみ上げてきて、僕は大の字になり、体を休めた。
 周囲がざわめき始めたのはそのときだ。誰かが僕の顔を覗き込んでいるようだった。目が慣れると、少女の顔だと分かる。にっこり微笑む女の子。女神にしては、いくらなんでも若すぎる。
 と、頭上で鐘の音が鳴り響いた。それはまるで聖堂の時鐘のように聞こえた。不思議に思って僕は体を起こし、ようやく夢から覚めた。
 ハトのように気ぜわしく辺りを見回す僕の上に、野次馬たちの視線が集まった。見慣れた町並み、物音、風の匂い。間違えようもない。そこは帝都の聖堂前広場だった。
 僕は右手の指を開き、ミヒュトから預かったあの金属塊を見つめた。金色の光の筋が、《アーティファクト》の表面に渦巻いていた。シスターが言った「生きてる」という言葉を思い出し、次第に弱まっていくその古代の耀きを、また握り締めた。
 肩を貸し合って聖堂へ向かう僕らのことを、色ガラスの翼を広げた女神が、黙って見つめていた。
 
 その後の出来事は、整然と処理されていった。
 シスターが血まみれになって守った金属塊は、聖堂で待ち構えていた枢機卿猊下の手に渡り、分厚いドアの向こうへ消えた。皇室関係者に有力貴族の名代ら、そして帝国軍の将校が、延々と汚い駆け引きを繰り広げ、遊撃士協会の調停役を呆れさせた。
 僕はシスター・カーネリアのそばにいた。教会の長椅子に横たえられた彼女。本物のシスターたちがコートを剥ぎ取り、血で貼りついた上着を切り開く。するとその下からさらに鎖かたびらが現れて、彼女たちを困惑させる。
 翌日、《猟兵団》を動かしていた某貴族は荘園を見返りに手を打つことに同意し、ようやく《アーティファクト》は教会の管理下に入った。そしてバッグ一杯の口封じを押し付けられた僕は、すぐに共和国へと旅立った。行き先は有名な高級保養地。体のいい厄介払いだった。護衛に付いてくれた遊撃士はあのパヴェルとクレイで、出発の直前、2人は何も言わず僕をシスターのところへ案内してくれた。
 目を覚ましていたシスターと、少しだけ話した。別れ際、彼女は手を差し出した。
「アインよ。あたし、アインっていうの」
僕は彼女の真っ白な、けがれのない手を握り締めた。
 
 それから3年が過ぎた今日――
 僕は《帝国時報》の誌上で、彼女の名を目にしている。「アイン・セルナート」――その活字の先には、きわめて簡潔な記事が、こう続いていた。
『昨日未明、帝都市街にて変死体として発見。 遺体には複数の外傷――故人は生前、七耀教会の慈善事業に参加し、各地で多くの人々を救った。』
 最後の1行を読んだとき、路上に横たわるシスターの姿が頭に浮かんだ。血に染まったその寝顔は、ひどく安らかで、笑みさえ浮かべている。
 僕は雑誌を固く丸め、胸に光る遊撃士の紋章にそっと触れた。シスターが薦めてくれたこの商売に乗り換えて、もうまもなく2年が経つ。ようやく本名を使うことにもなれてきた。
「トビー」
耳元でシスターのささやきがよみがえる。
もうトビーですらない僕は、冷たく曇った車窓に額をつける。記憶の中のシスターの瞳は煌く紅耀石のようだ。コートの裾をなびかせ、闇の中へ駆け出す彼女。目を開き、僕は窓の外を眺める。帝都の灯りが紅くにじんで、白い霧の彼方へと、消えていった。
 〈了〉